第2回総会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:46 UTC 版)
10月16日、第2回総会で委員会委員の投票が行われた。しかし投票に付しても、このときの候補者名簿は公会議の規則が求める投票総数の3分の2の賛成票を得ていない。そこで、リベラルな枢機卿たちは、教皇ヨハネ23世に規則の例外を認めさせるように圧力をかけた。論拠は投票総数の過半数を獲得したのであり、これは明らかに公会議の大多数の意志であるとしている。ヨハネ23世は公会議の規定を無視してこの名簿を受け入れ、公会議の諸々の委員会のすべての委員はリベラル派から選ばれた。この結果、自分たちの立てた候補者109人のうち79人が当選し、「ヨーロッパ同盟」は座席の49%を得た。教皇により、ヨーロッパ同盟の委員が更に8人指名された。典礼・教育・宣教・修道生活の専門として見なされてきた修道会総長評議会が立てた候補者は、1人も当選しなかった。初日に配布された委員候補名簿に100人いたイタリア人司教は20名に留まった。その結果、委員の3分の2が進歩派に占められた。冒頭の選挙において教皇庁を抑えて自己主張した司教らは、公会議の指導権をますます握っていく。このことは「ライン河はティベル河に流れはじめた」と論評された。 以降、公会議では単に教皇庁準備委員会の提示した名簿を参加者が承認するのではなく、参加者たちがグループをつくって議論を交わし、主体的に話し合いを進めるスタイルがつくられていく。 10月15日、委員選挙と平行し、フリンクスは公会議の最初の議題として、リエナールとアルフリンクらの進歩派による最も進歩的な内容、すなわち典礼を討論するべきだと主張し、議長団の10人はヨハネ23世にそれを要求しに謁見していた。 10月16日、第2回総会で、公会議の最初の議題として最も進歩的な草案が討議されることが発表された。つまり「典礼について」であった。こうして、検邪聖省を中心に「教皇庁的考え方は予想以上の抵抗にあって自由な前進を阻まれたのである。しかも抵抗する司教団に支持を与えたのは教皇自身であった。」ということ見方をしている。
※この「第2回総会」の解説は、「第2バチカン公会議」の解説の一部です。
「第2回総会」を含む「第2バチカン公会議」の記事については、「第2バチカン公会議」の概要を参照ください。
- 第2回総会のページへのリンク