第2回節度使とは? わかりやすく解説

第2回節度使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 14:28 UTC 版)

節度使 (日本)」の記事における「第2回節度使」の解説

続紀巻第二十三にある天平宝字5年761年)の節度使については、同巻二十二にある、天平宝字3年759年6月大宰府行軍式を作らせ、同年8月大宰帥船王香椎宮派遣して新羅を伐つべき状を奏上させ、同年9月に船500艘を北陸山陰山陽南海四道諸国割りあて、3年以内建造させたとする命令に続くもので、新羅征討計画一環として設置されたものである。 『続紀巻第二十三天平宝字5年11月記述によると、 従四位下藤原恵朝臣朝狩東海道節度使とす。正五位下百済朝臣足人、従五位上田中朝臣多太麻呂を副(すけ)。判官四人録事四人。(中略)従三位百済王敬福南海道使とす。従五位上藤原朝臣麻呂従五位下小野朝臣石根を副(すけ)。判官四人録事四人。(中略正四位下吉備朝臣真備西海道使とす。従五位上多治比真人土作佐伯宿禰美濃麻呂を副(すけ)。判官四人録事四人。(中略)皆三年田租(でんそ)を免(ゆる)し、悉(ことごと)く弓馬(くめ)に赴(おもぶ)き、兼ねて五行(ごぎゃう)の陣(ぢん)を調習(てうしふ)せしむ。その遺(のこ)れる兵士(ひゃうじ)は便(すなは)ち役(つか)ひて兵器つはもの)を造らしむ とあり、 地域(道)船(艘)兵士(人)郡司子弟(人)水手(人)東海 151 15,700 78 7,520 南海 121 12,500 62 4,920 西海 121 12,500 62 4,920 のような構成になっている。表を見て分かるように、南海道西海道が全く同じ動員数であり、中央政府机上計画であること、さらに、この計画基づいて動員された船以下を節度使が「検定」(検じて確定した)ところより、節度使第一役割があると、北啓太述べている。また、ここでの動員数について、平野友彦子弟兵士人数比を1:201計算しており、北啓太は各兵士の数から100を引き、それを子弟の数で割ると200になるところから、各子弟兵士200人の指揮官だったのではないか、としている。 この時の節度使担当する道と所管する国の範囲一致しておらず、東海道遠江国駿河国伊豆国甲斐国相模国安房国上総国下総国常陸国)に加えて東山道の上総国武蔵国下総国含まれており、南海道紀伊国阿波国讃岐国伊予国土佐国)の場合も、山陽道播磨国美作国備前国備中国備後国安芸国周防国含まれている。ちなみに武蔵国はのちに東海道編入されている。 『続紀巻第二十五によると、東海道節度使天平宝字8年7月撤廃され西海道節度使同年11月撤廃された。

※この「第2回節度使」の解説は、「節度使 (日本)」の解説の一部です。
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