篠原自遁とは? わかりやすく解説

篠原自遁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 21:17 UTC 版)

篠原 自遁(しのはら じとん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将阿波国木津城主。俗名は実長(さねなが)[1]


注釈

  1. ^ 『三好記』や『南海通記』は自遁の官途を「肥前守」とし[2]、篠原長房を「弾正」「弾正少弼」としている[3]。一次史料では、自遁とは別人として「篠原肥前守」の名が見え、実長と名乗る自遁に対し淡路方面の報告を行っている[4][5]
  2. ^ 『昔阿波物語』では、永禄5年(1562年)に実休が討死した際に長房や三好康長と共に出家したとされる[9]
  3. ^ 『三好記』や『南海通記』には、この時自遁は存保を主君とすることを拒んで阿波撫養の津に上陸した存保と一戦交えようとするも、存保方が自遁の妹婿・大代掃部助を人質としたために和睦を申し入れ、存保を勝瑞城に送り届けたとある[17]

出典

  1. ^ a b c d e 平井 2023, p. 195.
  2. ^ 山本 1966, pp. 256, 403.
  3. ^ 山本 1966, pp. 252, 439.
  4. ^ 年未詳5月19日付篠原実長書状(「篠原熊作好房所蔵文書」)。
  5. ^ 天野忠幸 著「総論 阿波三好氏の系譜と動向」、天野忠幸 編『阿波三好氏』岩田書院〈論集 戦国大名と国衆10〉、2012年、23頁。ISBN 978-4-87294-770-0 
  6. ^ 円勝寺の沿革” (2009年4月30日). 2010年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  7. ^ a b 平井 2023, p. 196.
  8. ^ a b c 平井 2023, p. 197.
  9. ^ 山本 1966, p. 311.
  10. ^ 平井 2023, p. 198.
  11. ^ 平井 2023, pp. 197–198.
  12. ^ 山本 1966, p. 266.
  13. ^ 平井 2023, pp. 198–199.
  14. ^ a b c 平井 2023, p. 199.
  15. ^ 平井 2023, p. 144.
  16. ^ a b c 平井 2023, p. 200.
  17. ^ 山本 1966, pp. 278–279、404–405.
  18. ^ a b c d e f 平井 2023, p. 201.
  19. ^ 平井 2023, pp. 201–202.
  20. ^ a b 平井 2023, p. 202.


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