篠原長房の拠点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 05:29 UTC 版)
篠原長房は越水城を拠点として摂津、大和など各地に転戦したが、永禄11年(1568年)15代将軍足利義昭を擁立した織田信長が9月7日に岐阜城を出立、12日に六角義賢の近江観音寺城が陥落(観音寺城の戦い)、25日に大津まで進軍すると長房と三人衆の軍は崩壊、29日に山城勝龍寺城の岩成友通が降伏、30日に摂津芥川山城の細川昭元・三好長逸が退去、10月2日には長房も越水城を放棄し、阿波へ落ち延びた。越水城には足利義昭が入城した。足利義昭がその後帰京して将軍になると、近江の国人和田惟政が守った。 しかし、元亀元年(1570年)9月篠原長房が阿波、讃岐勢2万を率い再び摂津に上陸(野田城・福島城の戦い)、瓦林城を落とし、越水城を奪い返した。同年12月、織田信長と篠原長房の間で和議が成立し、長房は阿波へ軍を退いた。 篠原長房は、元亀2年(1571年)9月には、荒木村重、中川清秀、松永久秀と共に和田氏の高槻城(摂津)を包囲している(白井河原の戦い)。しかし元亀4年(1573年)5月、篠原長房は主君三好長治により居城の阿波上桜城を攻撃され、籠城戦の後7月に自害した(上桜城の戦い)。
※この「篠原長房の拠点」の解説は、「越水城」の解説の一部です。
「篠原長房の拠点」を含む「越水城」の記事については、「越水城」の概要を参照ください。
- 篠原長房の拠点のページへのリンク