豊臣鶴松
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豊臣 鶴松(とよとみ つるまつ)は、安土桃山時代の人物で、豊臣秀吉の側室・淀殿が生んだ長子。鶴松の名で知られているが、幼名は棄(すて)で、武運長久を祈るために、八幡太郎とも呼ばれた[1]。
注釈
- ^ a b 「祥雲院殿玉嚴麟公神童」は菩提寺である正法山妙心寺の記録である『正法山誌』および『殿堂略記』による。萬年山相国寺の記録である『鹿苑日録』ではこれとはやや異なる「祥雲院玉厳恵麟台霊」とされている。
- ^ 庶長子・秀勝 (石松丸)の存在は疑問視する向きもあるので、次男であると断言はできないが、鶴松が嫡男(嫡長子)であることは間違いない。
- ^ 秀吉の子を身籠った茶々に与えられた産所で、彼女の「淀殿」との通称の由来。鶴松は生涯の多くの時間をこの城で過ごした。
- ^ 秀吉の側近六人衆(寺沢広政、伊藤秀盛、蒔田久勝、石川光重、一牛斎、小出秀政)の1人。蔵入代官。尾張犬山城主石川貞清の父親。
- ^ 快川紹喜の高弟の1人。
出典
豊臣鶴松
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 00:39 UTC 版)
秀吉の長男。秀吉が50代でできた初めての実子。朝鮮使節が来日した時、2歳。秀吉に溺愛されていたが、幼くして死去。秀吉は悲嘆にくれ、お通夜では髷を切って亡骸に捧げて泣き叫ぶ。それに倣って家康も髷を切ると、各々が焼香のたびに髷を切った。
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