慈徳院 (織田信長側室)とは? わかりやすく解説

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慈徳院 (織田信長側室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 19:31 UTC 版)

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慈徳院(じとくいん、生没年不詳)は、安土桃山時代の女性。織田信長側室三の丸殿の生母。名は不詳[1]。法号が慈徳院殿一枝宗桂大姉[2]

略歴

滝川一益の親族と伝わり[1]、『妙心寺史』ではその娘とする[2]。兄は妙心寺56世・九天宗瑞[3]

信長の嫡男・信忠乳母を務めたことが縁で、信長の目に留まって側室となり、後に豊臣秀吉の側室となる信長の娘[4]の三の丸殿を産んだ。また一益には信長の女婿とする説もあるが、信忠と九天宗瑞・慈徳院とは従兄弟の関係あったとする説もある。いずれにしても、織田家とは所縁が深かったことになる。

本能寺の変の後は、信忠を弔うために妙心寺内に大雲院を建立した[5]。「大雲院」は信忠の法名であり、九天住持が大雲院の開山となったとされる[1]。これは一益が建立した長興院と後に合併されており、織田一族で一益女婿の津田秀政[6]らも葬られている。

脚注・出典

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  1. ^ a b c 岡田 1999, p. 169
  2. ^ a b 川上 1921, p. 307.
  3. ^ 秀吉の愛息豊臣鶴松の葬儀は、妙心寺58世南化玄興が陞座(しんぞ)の儀を、前住持九天宗瑞が拈香(ねんこう)の儀を執り行っている。
  4. ^ 生年序列は確定しておらず、五女または六女、あるいは九女とも。詳しくは三の丸殿を参照。
  5. ^ 大雲院は滝川一益の建立とする異説も伝わる。
  6. ^ 「長興院」は秀政の法号

参考文献

関連項目




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