海山元珠
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海山 元珠(がいざん げんしゅ、永禄9年9月1日(1566年10月23日) - 寛永19年1月23日(1642年2月22日))は、安土桃山時代から江戸時代の日本の僧侶。臨済宗妙心寺派に属した。方広寺鐘銘事件の折に、五山増や林羅山が徳川家康におもねた見解を提供したなか、唯一徳川方の思惑に与しない意見を述べた。
- ^ a b c d 「海山と大佛鐘銘事件」『妙心寺史(下)』pp.53 - 54
- ^ 「亀仙庵」については『妙心寺史(上)』p.238、pp.326 - 327および『妙心寺史(下)』p.54、pp.158 - 159 の4カ所に記載されている。開基者として「千坂宗策(景親)」の他に直江兼続もあげられているが、「千坂景親」の法名「鶴齢院殿亀仙宗策居士」に因んで名付けられた庵なので、開基者は「千坂景親」である。[独自研究?]
- ^ 「上杉家と妙心寺」『妙心寺史(上)』p.238
- ^ 『妙心寺史(下)』p.53の「海山と大佛鐘銘事件」に海山元珠の見解が掲載されている。「清韓文章を以て世に鳴る、下愚筆力を知るにあらざれば減否を決しがたし之を心ありと謂はば則心あらむ、清韓は凶詞を知りてかくべからず、唯天下の太平を祝し檀那の功徳を著はすのみ(『武徳編年集成』)」。清韓とは鐘銘を撰文した文英清韓。意訳:清韓は文章で世に出た者なので、愚か者や文章力のない者に清韓の文章の是非を判断することはできないが、異心ありかと言われれば、それは無い。 ただ、天下泰平を願っているだけだ。
- ^ 竹貫元勝「文英清韓と海山元珠」『禅文化』No.157、禅文化研究所、1995年7月
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