山内塔頭とは? わかりやすく解説

山内塔頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 10:05 UTC 版)

相国寺」の記事における「山内塔頭」の解説

大光明寺 豊光寺 - 西笑承兌豊臣秀吉追善のため創建天明の大火焼失し廃絶危機にあったが、明治15年1882年荻野独園が、慧院とその子霊香軒の客殿移築し再興長得院 慈照院 慈雲院 瑞春院 - 水上勉が幼い時に暮らし小説雁の寺』のモデルになった養源院 普広院 大通院 - 相国寺の「専門道場となっている。坐禅堂は選仏場ともいう。 林光院 - 足利義嗣菩提を弔うため、夢窓疎石勧請開山として創建。元は二条西ノ京にあった紀貫之邸宅跡にあったが、移転繰り返した後、豊臣秀吉の命により山内移った明治時代には荒廃し廃院となっていたが、大正8年1919年橋本獨山によって再興建物仁正寺藩藩邸買い取り移築南庭鶯宿梅には、平安時代村上天皇の代に清涼殿枯れたので紀内侍紀貫之娘)宅の移植したが、「勅なればいともかしこしの 宿はととはばいかがこたえん」という別れを惜しむ娘の和歌短冊添えられ、これに心打たれた天皇返したという逸話が残る(『大鏡』)。大正4(1915)年に境外墓所に「甲子戊辰役薩藩戦死者墓」が建てられた。この墓は甲子役すなわち禁門の変元治元(1864)年と戊辰戦争(特に鳥羽伏見の戦い)に関わって亡くなった方を弔ったのである光源院 玉龍院

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山内塔頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:25 UTC 版)

妙心寺」の記事における「山内塔頭」の解説

龍泉庵 - 妙心寺四派のうち龍泉派の本庵。妙心寺10景川宗隆文明13年1481年)に創建した重要文化財長谷川等伯筆「枯木猿猴図」を所蔵実物京都国立博物館寄託)。本堂庫裏書院鐘楼及び表門京都府指定有形文化財となっている。 衡梅院 - 妙心寺六祖雪江宗深により創建された。年代文明元年1469年)と文明12年1480年)の2説がある。慶長9年1604年天秀得全が中興した。霊雲派に属する。雪江宗深の塔所があり、その頂相所蔵する長興院 - 滝川一益天正9年1581年)に創建開山妙心寺56九天宗瑞で、創建当初暘谷庵と称していた。津田秀政慶長11年1606年)に中興し、その没後法号因んで長興院改めた元禄5年1692年妙心寺塔頭であった大雲院合併した聖澤派に属する。 養源院 - 妙心寺四祖、日峰宗舜文安5年1448年)に細川持之援助により創建した応仁の乱にて焼失した後、雪江宗深によって再興される。近世至り、剛宗宗紀により中興今日客殿この中時の建立で、妙心寺山内現存客殿中で建立年次明確にしている建物としては最も古い。霊雲派に属する。 東海庵 - 妙心寺四派のうち東海派の本庵。開祖妙心寺11悟渓宗頓文明16年1484年)の創建慶長4年1599年石川頼明により中興された。庭園史跡・名勝指定されている。方丈前庭築地塀囲まれ一画白砂敷き詰め、帚目を付けただけのシンプルな庭。書院南庭白砂に7個の石を並べた抽象的な庭である。重要文化財として瀟湘八景図孝明天皇宸翰徽号勅書十六羅漢図、花鳥図所蔵する本堂庫裏鐘楼書院及び表門京都府指定有形文化財となっている。 玉鳳院 - 花園天皇離宮跡に建つ。関山慧玄像を祀る開山堂(別名:微笑庵、重要文化財)は室町時代建築庭園史跡・名勝指定。四派のいずれにも属さず塔頭住持法事を行う。豊臣秀吉の子豊臣鶴松(棄丸)の御霊屋祥雲院殿」がある。 東林院 - 開基山名豊国妙心寺51世直指宗諤。弘治2年1556年)に建立された。枯山水庭園水琴窟見られるナツツバキ沙羅双樹)の花が咲く時期特別公開知られる霊雲派に属する。 大心院 - 開基細川政元勧請開山景川宗隆として創建創建年次諸説ある。もともと山外にあった移された。龍泉派に属する。 雑華院 - 開基牧村利貞が弟で妙心寺79世一宙東黙を開祖として天正11年1583年)に創建した東海派に属する。 福寿院 - 開基水野忠清室、性宣妙演、開祖竜天宗登として元和5年1619年)に養賢院として創建。性宣院と改名した後、再度改称され現在の名称となる。東海派に属する。 如是院 - 妙心寺五祖、義天玄詔により大愚庵として創建された。寛正3年1462年直指宗諤により中興されてい現在の名に改称されている。霊雲派に属する。 海福院 - 福島正則開基。夬室智文開祖元和2年1616年創建公家町尻家(福島正則縁者菩提寺東海派に属する。 養徳院 - 開基石川光重、開山はその兄弟妙心寺67世の功沢宗勲。天正11年1583年創建叔玄秀による酒茶論の軸、曽我直庵筆の図、鑑真伝来と伝わる鉄鉢所蔵する東海派に属する。 大雄院 - 開基石川光忠開山は慧南慧譲。石川氏菩提寺として慶長8年1603年創建現在の方丈享保2年1717年)に改築されたものである柴田是真筆による郭子儀図を含む襖絵所蔵する東海派に属する。 桂春院 - 開基津田秀則が妙心寺73世水庵宗掬を開山とし、慶長3年1598年)に見性院として建立寛永8年1631年石川貞政再興時に桂春院改めた杉苔ツツジ植え込み見どころ庭園史跡・名勝指定東海派に属する。 蟠桃院 - 開基前田玄以開祖は一東黙宙。慶長6年1601年創建伊達政宗大檀越に加わり伊達家菩提寺となる。東海派に属する。 長慶院 - 豊臣秀吉正室である北政所姉妹長慶院木下家定娘)が慶長5年1600年)に創建開山妙心寺71東漸宗震1878年明治11年)に相楽郡妙法寺合併して妙法寺名乗っていたが、1905年明治38年旧称復した聖澤派に属する。 雲祥院 - 開基千坂景親(宗策居士)、開山海山元珠。「亀仙庵」(千坂景親法名鶴齢院殿亀仙宗策居士」からの由来)として慶長3年1598年創建その後方広寺鐘銘事件祥雲寺にいた海山元珠徳川家康思惑沿わない見解述べたため、家康から祥雲寺没収される至ったが、その際海山元珠は師の南化玄興豊臣秀吉遺児鶴松(棄丸)の木像背負って妙心寺帰った伝えられている。その後、自坊「亀仙庵」を祥雲寺の名を逆さにした「雲祥院」と改名した1878年明治11年)に熊谷半次創建の瓊院と合併している。東海派に属する。 光国院 - 開基松平忠隆開山南禅棟。元和6年1620年創建松平忠明創建実相院1878年明治11年)に合併している。龍泉派に属する。 隣華院 - 開基脇坂安治長谷川等伯方丈襖絵水墨山水図」(重要文化財)、狩野永岳襖絵所有東海派に属する。 智勝院 - 開基稲葉貞通開祖単伝士印。慶長2年1597年創建絹本著色稲葉一鉄像所蔵する東海派に属する。 麟祥院 - 開基春日局菩提寺開山は碧翁愚完(鍋島勝茂の子)で、寛永10年1633年)ないし同11年1634年)に建立された。創建当初現在の花園高校位置敷地があったが、1897年明治30年)に現在地へと移っている。春日局の父斎藤利三親交深かった海北友雪筆による方丈襖絵西湖図、雲龍図瀟湘八景図)を所有元和年間1615年 - 1624年)に後水尾天皇より拝領した釣殿春日局霊屋として境内にあり、小堀遠州よるものと伝わる同木像がある。東海派に属する。 大通院 - 開基一柳直末開山妙心寺58南化玄興で、天正14年1586年)に建立されている。山内一豊夫妻霊屋がある。東海派に属する。 天球院 - 寛永8年1631年池田輝政の妹天久院が創建狩野山楽山雪らが描いた方丈障壁画152面あまりが重要文化財東海派に属する。 金牛院 - 環陵を開祖として慶安3年1650年創建東海派に属する。 寿聖院 - 開基石田三成開山妙心寺62伯蒲慧稜石田氏菩提寺として慶長4年1599年創建された。関ヶ原の戦い後規模縮小された。霊雲派に属する。 天祥院 - 開基松平忠弘開山は乳峯義元正保2年1645年)に創建された。1878年明治11年)、慈性院を合併している。龍泉派に属する。 春光院 - 開基堀尾吉晴重要文化財南蛮寺なんばんじ)の鐘と狩野永岳方丈襖絵所有龍泉派に属する。 徳雲院 - 開基山名豊国開山妙心寺51世直指宗諤。弘治2年1556年)に山名氏菩提寺として創建される。霊雲派に属する。 大龍院 - 開基中村一忠慶長11年1606年)に妙心寺80鉄山宗鈍を開祖として創建した霊雲派に属する。 大法院 - 松代藩真田信之菩提寺兵法学者佐久間象山の墓(非公開)がある。龍泉派に属する。 玉龍院 - 生駒一正慶長3年1589年)に妙心寺99大川紹潙を開祖として創建龍泉派に属する。 通玄院 - 開基寺西信之、開山妙心寺219世虚櫺了廓。かつては即心院称していた。創建年代諸説ある。1878年明治11年)、水月院を合併している。龍泉派に属する。 霊雲院 - 妙心寺四派のうち霊雲派の本庵。妙心寺25大休宗休が師の特芳禅傑勧請開山として大永6年1526年)に創建した重要文化財後奈良天皇宸翰円満本光国師号勅書狩野元信筆の琴棋書画図有し天文12年1543年)に建立されたと伝わる書院重要文化財となっている。相国寺慈雲の子建和尚による作庭伝えられる枯山水庭園は「霊雲院庭園」として史跡・名勝指定されている。 聖沢院 - 妙心寺四派のうち聖澤派の本庵。妙心寺18世天蔭徳が師の東陽英朝勧請開山として、帰依していた土岐政房細川氏援助により大永3年1523年)に創建した。一旦寺勢は衰えるものの、早川長政援助得て庸山景庸文禄3年1594年)に再興した本堂書院庫裏および表門1999年平成11年)に京都府指定有形文化財となった重要文化財摩利支天画像のほか、片山尚影の十牛図獅子図、狩野典信麒麟図や竹林七賢図所蔵する天授院 - 妙心寺二祖授翁宗弼により康暦2年1340年)に創建される。重要文化財法華経譬喩品所蔵する東海派に属する。 退蔵院 - 妙心寺三祖、無因宗因波多野重通の援助により応永11年1404年)に創建日本の初期水墨画代表作である如拙筆の国宝瓢鮎図」を所有する京都国立博物館寄託)。霊雲派に属する。 慈雲院 - 開基大阪商人橘屋新兵衛開祖妙心寺194湛月紹円承応2年1653年)に創建1878年明治11年松濤庵及び寿仏寺合併している。東海派に属する。以上のうち常時一般公開しているのは退蔵院桂春院大心院のみ。 大心院東林院宿坊併設しており、比較的安い料金宿泊できる宿泊には電話空室があることを確認したあと、往復はがきでの正式な申し込みが必要である。

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