山内和彦
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山内 和彦(やまうち かずひこ、1965年 - )は、日本の政治ジャーナリスト[1]。元川崎市議会議員。
来歴
(詳細は選挙 (映画)#山内和彦)
1965年、東京都江戸川区に生まれる。 愛媛県立今治西高等学校を卒業。気象大学校と信州大学をともに中退。1989年、5年間の浪人を経て東京大学文科三類に入学する。1996年に東京大学文学部言語文化学科を卒業、同年東京大学社会情報研究所教育部に特別研究生として進む。
2005年10月、川崎市議会議員選挙宮前区選挙区補欠選挙(欠員1)に自由民主党公認で立候補し、当選する(20,544票)。川崎市議会では環境委員会や健康福祉委員会の委員を務めた。次期選挙に出馬せず、2007年5月2日、任期満了により川崎市議会議員を退任する。2007年12月、著書『自民党で選挙と議員をやりました』(角川SSC新書)を刊行。
2011年4月、以前と同じ宮前区選挙区(定数9)から川崎市議選に無所属で立候補したが、落選した(1,306票)。
2015年、江戸川区議会議員選挙(定数44)に無所属で立候補したが、候補者58人中56番目の得票数で落選した。
川崎市議選の様子は東大時代の同級生、想田和弘によりドキュメンタリー映画「選挙」「選挙2」が制作され、公開された。
著作
出典
- ^ “政治ジャーナリスト山内和彦”. 2017年8月17日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 山さん@選挙&選挙2 (@yamasan_senkyo) - X(旧Twitter)
山内和彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 14:47 UTC 版)
1965年 東京都江戸川区生まれ 愛媛県立今治西高校を卒業。気象大学校と信州大学をともに中退。 1989年 五年間の浪人を経て東京大学文科三類入学 1996年 三年の留年を経て東京大学文学部言語文化学科卒業 1996年 東京大学社会情報研究所教育部特別研究生入学 2005年10月23日 川崎市議会議員選挙宮前区選挙区補欠選挙(欠員1)に自由民主党公認で出馬、初当選(20,544票) 2005年度 川崎市議会 環境委員会委員 2006年度 川崎市議会 健康福祉委員会委員 2007年5月2日 川崎市議会議員 任期満了(次期選挙には不出馬) 2007年12月 著書『自民党で選挙と議員をやりました』(角川SSC新書)を刊行 2011年4月10日 川崎市議会議員選挙宮前区選挙区(定数9)に無所属で出馬、落選(1,306票) 父親は、二代続く特定郵便局長。子供の頃の夢は「東大を出て政治家になる」だったが、その夢をかなえたことになる。 コイン・切手収集の趣味から、切手・コイン商を始める。知人の勧めと、小泉純一郎首相(当時)の大ファンだったこともあり、自民党川崎市議候補の公募に応募し、当選した(ただし、公募という形式を取っているが、補欠選挙の候補者が立候補をドタキャンしたため、山際の知り合いで定職を持たず学歴もそこそこのちょうど良い人物として白羽の矢が立ったことがきっかけ。つまり都合が良かった)。 会社員の妻と2人暮らし(当時)で、重点政策は子育て支援。選挙には夫婦そろってホワイトバンドを手首につけて臨んだ。選挙後に長男が生まれる。 議員活動を続けたいという意思はあったが、次は自民党の公認を取れる見込みが無く、また無所属での出馬は自分を支えてくれた自民党や支持者への裏切りとなると判断し、出馬を見合わせることとした。 現在は主夫として、子育てに専念中。また国内外での『選挙』上映時の舞台挨拶や、講演活動も行っている。 2011年4月10日投票の川崎市議会議員選挙宮前区選挙区に無所属で出馬した。脱原発などを訴え、防護服を着て演説を行なった。『選挙2』ではその様子が撮影されている。 2015年江戸川区議会議員選挙にも、無所属で出馬した。『選挙3』制作も検討されたが、想田のスケジュールの都合などもあり、見送られた。
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