せいりょう‐でん〔セイリヤウ‐〕【清涼殿】
清涼殿
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清涼殿(せいりょうでん)とは、平安京の内裏における殿舎のひとつ。仁寿殿の西、後涼殿の東。
- ^ 『大内裏図考証』では弘徽殿上御局と藤壺上御局の間に「萩戸(はぎのと)」という一室があるとされてきたが、建築史家・島田武彦はこれは後世の誤りで、元々は清涼殿北廂東面の妻戸の名称であるとしている(「萩戸について:建築史・建築意匠」『大会学術講演梗概集.計画系』昭和46年度、日本建築学会)。
- ^ 清家清 1989, p. 46.
- ^ 小池康寿 『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』 プレジデント社 2015年 30頁
- ^ 現在の建物(鬼の間)に、白澤王の絵は描かれていない。小池康寿 『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』 プレジデント社 2015年 31頁
- ^ a b c 小池康寿 『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』 プレジデント社 2015年 31頁
- ^ 小池 2015, p. 31.
- ^ 小池 2015, p. 32.
清涼殿(せいりょうでん)
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「少年陰陽師の関連語句」の記事における「清涼殿(せいりょうでん)」の解説
内裏の中でも、帝の私生活の場。窮奇の一件で、窮奇配下の妖異に追い詰められた妖が仲間への警告として放った鬼火によって焼失。藤原行成が総責任者となって、再建が進められる。
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清涼殿
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「清涼殿」も参照 清涼殿は、紫宸殿の北西にあり、東を正面とした南北棟の建物である。平安時代の内裏においては清涼殿が天皇の居住の場であったが、天正期に御常御殿が造られてからは天皇の日常生活の場はそちらへ移り、清涼殿は天皇の執務と儀式の場となった。ここでは正月の四方拝などの行事が行われた。建物は入母屋造、檜皮葺で、紫宸殿と同様に寝殿造を基調とするが、ほとんど間仕切りのない紫宸殿とは異なり、本来居住の場であった清涼殿の内部は多くの部屋に仕切られている。構造的には身舎、廂、孫廂からなる。身舎は桁行(間口)9間、梁間2間と細長く、この東西南北にそれぞれ廂があり、東廂の外側(東)には床高を一段低くした孫廂(弘廂とも)がつき、さらに建物の外周には、南を除く三方に簀子縁をめぐらす。円柱を用い、床は板張り、天井は天井板を張らず化粧屋根裏とし、建具は蔀を用いるなど、復古的様式を用いる点は紫宸殿と共通している。 身舎の南寄り、柱間5間分と、その東側の廂部分を広い1室とする。ここは天皇が日常の公務を行った場所である。身舎の中央に天皇の休息の場であった「御帳台」があり、一対の獅子狛犬がその前を護っている。御帳台の手前、東廂の中央にあたる部分には「昼御座」(ひのおまし)がある。「昼御座」とは天皇の座であって、板敷の床の上に繧繝縁(うんげんべり)の厚畳(あつじょう)2枚を敷き並べ、その上に大和錦の茵(しとね)を置く。御帳台に向かって左(南)には「大床子」(だいしょうじ)と称する腰掛と、「台盤」と称する朱塗の食卓がある。これらは、ハレの行事の時の儀式的な食事の際に天皇が用いたものである。東廂の南端部には「石灰壇」(いしばいだん)と呼ばれる場所がある。ここだけは床が板張りではなく漆喰で塗り固められており、天皇はここで伊勢神宮などへの遥拝を行った。石灰壇の中に「塵壺」と称する円形の穴がある。これは文字どおり塵を捨てた場所ともいうが、冬期はここに火を起こして暖をとったという。身舎の北寄りには「夜御殿」(よんのおとど)と称する部屋がある。ここは、室名のとおり、本来の用途は天皇の寝室であったが、御常御殿に天皇の生活の場が移ってからは、形式的なものとなっている。室内には厚畳を2枚敷き並べた上にさらにもう1枚の厚畳を置く。厚畳の周囲には「大宋屏風」と称する六曲一双の屏風を立て回す。この屏風に描かれているのは打毬の杖を持った、騎馬または立ち姿の中国・宋の人物たちである。夜御殿の東には「二間」(ふたま)という小部屋がある。古くは、間口1間、奥行1間の柱間で囲まれた空間の広さを「間」といい、この部屋は間口2間、奥行1間であることから「二間」と称されている。二間の北側には「弘徽殿上御局」(こきでんのうえのみつぼね)、夜御殿の北側には東に「萩戸」(はぎのと)、西に「藤壺上御局」(ふじつぼのうえのみつぼね)という小部屋がある。西廂には南から北へ「鬼の間」、「台盤所」、「朝餉の間」(あさがれいのま)、「御手水の間」、「御湯殿」がある。
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