豊臣秀頼に仕える
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:17 UTC 版)
一政は慶長年間、豊臣秀頼の代に豊臣家に仕え、片桐且元の麾下に属した。この際、豊臣秀吉が滅ぼした「浅井」の姓を名乗ることを憚ったためか、「今木」を称している。『浅井一政自記』によれば、豊臣秀頼とは直接面会もできる間柄で、信頼を受けていたようである。 慶長19年(1614年)9月、大野治長らと対立し、暗殺計画があることを知らされた片桐且元が自邸に立て籠もった際には、事態の打開を図るべく、豊臣家(秀頼および淀殿)と片桐家の間を奔走した。且元の大坂城退去に際し、且元は一政もともに退去するよう促したが、一政は固辞して大坂城に残った。一政は且元の助言に従い、伊東長実を介して秀頼に詫びを入れて許されたが、疑いの目は向けられたようであり、『浅井一政自記』に大坂冬の陣についての記述がないのは城内に留め置かれたためと考えられる。
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