常高寺
常高寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 22:33 UTC 版)
墓所は若狭(福井県小浜市)の常高寺。常高寺は後瀬山山麓にあり、後瀬山山頂にはかつて後瀬山城があった。後瀬山城は京極高次が徳川家康より若狭一国を拝領した時、初めに入った城である。墓所は、常高院永昌尼公の石塔を中心に、尼公に仕えていた尼僧達の石塔が会席する形をとって並んでいる。同寺には常高院の肖像画も伝わっている。 常高院没後の翌寛永11年(1634年)、京極氏は出雲松江藩に国替えした時も、常高院の墓所である常高寺は若狭に残された(京極高次の供養等は京極家の国替えの際に出雲に移された)。以後、京極家が出雲、播磨、讃岐へと国替えになっても、その庇護を受け続けた。 常高寺には侍女であった桂久院十一世恵林尼(小少将局)・光雲院九世義裕尼(たき)・節心院十一世智栄尼(しん)・昭陽院・法心院・清涼院・盛春院らの墓も残っている。
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