常高寺とは? わかりやすく解説

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常高寺

読み方:ジョウコウジ(joukouji)

宗派 臨済宗妙心寺派

所在 福井県小浜市

本尊 観世音菩薩

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

常高寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 17:15 UTC 版)

常高寺(じょうこうじ)は、福井県小浜市小浜浅間にある臨済宗妙心寺派寺院山号は凌霄山。浅井三姉妹の次女「初」、京極高次正室常高院)の祈願により建立され、常高院の墓所およびゆかりの文化財がある。


  1. ^ 田中敏雄 「常高寺(小浜市)の障壁画 ─狩野洞春美信の壁貼付・襖絵」『近世日本絵画の研究』(作品社、2013年3月、pp.190-198)


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常高寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 22:33 UTC 版)

常高院」の記事における「常高寺」の解説

墓所若狭福井県小浜市)の常高寺。常高寺は後瀬山山麓にあり、後瀬山山頂にはかつて後瀬山城があった。後瀬山城京極高次徳川家康より若狭一国拝領した時、初めに入った城である。墓所は、常高院永昌尼公石塔中心に尼公仕えていた尼僧達の石塔会席する形をとって並んでいる。同寺には常高院肖像画伝わっている。 常高院没後の翌寛永11年1634年)、京極氏出雲松江藩国替えした時も、常高院墓所である常高寺は若狭残された(京極高次供養等は京極家国替えの際に出雲移された)。以後京極家出雲播磨讃岐へと国替えになっても、その庇護を受け続けた。 常高寺には侍女であった久院十一世尼(小少将局)・光雲院九世義裕尼(たき)・節心院十一世智栄尼(しん)・昭陽院・法心院清涼院・盛春院らの墓も残っている。

※この「常高寺」の解説は、「常高院」の解説の一部です。
「常高寺」を含む「常高院」の記事については、「常高院」の概要を参照ください。

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