常高寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 17:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動常高寺 | |
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所在地 | 福井県小浜市小浜浅間 |
位置 | 北緯35度29分22.4秒 東経135度44分4.8秒座標: 北緯35度29分22.4秒 東経135度44分4.8秒 |
山号 | 凌霄山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建年 | 寛永7年(1630年) |
開基 | 槐堂周虎禅師 |
正式名 | 凌霄山常高寺 |
文化財 | 絹本著色京極高次夫人像(県指定)、障壁、壁画床、紙本墨書常高院自筆消 、常高院墓(市指定) |
法人番号 | 1210005008578 ![]() |
常高寺(じょうこうじ)は、福井県小浜市小浜浅間にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は凌霄山。浅井三姉妹の次女「初」、京極高次の正室(常高院)の祈願により建立され、常高院の墓所およびゆかりの文化財がある。
文化財
- 県指定文化財
- 市指定文化財
- 障壁 10面
- 壁画床 2面 -寛政元年(1789年)頃。これらの障壁画の作者は、江戸幕府御用絵師の一つの表絵師筆頭・駿河台狩野家の4代目狩野洞春美信[1]
- 紙本墨書常高院自筆消
- 市指定史跡
交通アクセス
近隣情報
脚注
- ^ 田中敏雄 「常高寺(小浜市)の障壁画 ─狩野洞春美信の壁貼付・襖絵」『近世日本絵画の研究』(作品社、2013年3月、pp.190-198)
外部リンク
- 常高寺ホームページ - ウェイバックマシン(2011年10月4日アーカイブ分)
- 常高寺 小浜市ホームページ
常高寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 22:33 UTC 版)
墓所は若狭(福井県小浜市)の常高寺。常高寺は後瀬山山麓にあり、後瀬山山頂にはかつて後瀬山城があった。後瀬山城は京極高次が徳川家康より若狭一国を拝領した時、初めに入った城である。墓所は、常高院永昌尼公の石塔を中心に、尼公に仕えていた尼僧達の石塔が会席する形をとって並んでいる。同寺には常高院の肖像画も伝わっている。 常高院没後の翌寛永11年(1634年)、京極氏は出雲松江藩に国替えした時も、常高院の墓所である常高寺は若狭に残された(京極高次の供養等は京極家の国替えの際に出雲に移された)。以後、京極家が出雲、播磨、讃岐へと国替えになっても、その庇護を受け続けた。 常高寺には侍女であった桂久院十一世恵林尼(小少将局)・光雲院九世義裕尼(たき)・節心院十一世智栄尼(しん)・昭陽院・法心院・清涼院・盛春院らの墓も残っている。
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