大英帝国の植民地支配時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:41 UTC 版)
「カースト」の記事における「大英帝国の植民地支配時代」の解説
大英帝国の植民地以前のインドは、伝統の制度であるヴァルナとジャーティの制度体系は流動的でもあり、固定的な不平等や構造というより、運用原則とでもいうべきもので、伝統制度にはたとえば異議申し立ての余地なども残されていたが、イギリスの植民地支配によって、インド社会のカースト化が進行した。イギリス領インド帝国の権力はヴァルナの序列化の調停役を果たしたのであり、国勢調査報告者や地誌はジャーティの序列にしばしば言及し、また、司法は序列の証明となる慣行を登録して、随時、裁可を与えていた。このように、序列化を広く社会的に押し広げていく要因の一つには植民地支配があった。しかし、他方では、近代化とともにカースト制批判も強まって、1919年のインド統治法では不可触民にも議席が与えられた。イギリス人を支配階級に戴くにあたって、欧米諸国の外国人を上級カースト出身者と同等に扱う慣習が生じた。これは後のインド独立時において、カーストによる差別を憲法で禁止する大きな要因となった。 カースト差別撤廃運動 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アーリヤ・サマージやブラフモ・サマージなど、カースト差別撤廃を謳うヒンドゥー教改革運動が生まれた。 アーリア人に征服されたドラヴィダ民族というアイデンティティーから「非バラモン運動」が正義党(南インド自由党)などによって展開した。1925年には非バラモン運動には限界があるとしてラーマスワーミ・ナーイッカルが先住民族であるドラヴィダ民族は自尊すべきであるという自尊運動をはじめ、カースト制を否定した。 こうした運動はキリスト教の影響下にてカースト差別撤廃を謳ったが、それが唯一の目的というわけでもなかったため、一過性に終わったが、今日のカーストの排除及び廃絶につながっていった。
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