イギリス軍機甲部隊の大敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:08 UTC 版)
「ガザラの戦い」の記事における「イギリス軍機甲部隊の大敗」の解説
ロンメルの大釜陣地からの包囲突破とイギリス軍の退却 概要図 6月11日にロンメルは第15装甲師団と第90軽師団をエル・アデムに向け侵攻させ、6月12日にはイギリス第201近衛自動車化旅団をナイツブリッジのボックス陣地からトブルク周辺地域へと撤退させた。6月12日、インド第29歩兵旅団はエル・アデムへの攻撃を撃退したが、その左側(枢軸国軍から見て)のイギリス第2、第4機甲旅団はドイツ第15装甲師団の攻撃により4マイル (6.4 km)後退させられ、戦場に損害を受けた戦車を放置したままとなり回収することもできなかった。6月13日、ドイツ第21装甲師団は西から攻撃に加わり、イギリス第22機甲旅団と交戦した。ここで再びドイツアフリカ軍団は、攻撃兵器の戦車と対戦車砲の組み合わせによる優れた戦術を示すこととなった。また、ロンメルは連合国軍の無線通信を傍受して入手した情報により、支援を要請している部隊へ向けてより広範囲にすばやく装甲部隊を差し向けた。その日の終わりまでには、イギリス軍戦車の戦力を300輌から70輌近くまで大きく減らし、トブルクのみならずガザラ・ラインの第13軍団の部隊も分断して、ドイツアフリカ軍団は戦線を支配し続け、大きな脅威となっていた。6月13日の終わりまでには、ナイツブリッジの陣地はほぼ包囲され、その夜遅くに近衛旅団は陣地を放棄し撤退した。これらの一連の敗戦のために、6月13日はイギリス第8軍全体に「暗黒の土曜日」として知られることとなった。
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