アメリカ軍政期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 00:33 UTC 版)
「ドミニカ共和国の歴史」の記事における「アメリカ軍政期」の解説
詳細は「アメリカ合衆国によるドミニカ共和国占領 (1916年-1924年)」および「バナナ戦争」を参照 1906年にドミニカ共和国は、ウーロー大統領後の混乱収拾と列強に対する債務返済のため、アメリカ合衆国が50年にわたりドミニカ共和国の関税徴収を行う代わりに債務返済の保証をするという提案を受け入れ、事実上の保護国となった。この時期ハイチも対仏賠償や各国への債務が返せず財政難と混乱が続いた。第一次世界大戦時、両国の内政混乱に付け込み列強(特にドイツ帝国)が手を伸ばすのを避けるため、アメリカ軍は1915年にはハイチに、1916年にはドミニカ共和国に出兵して両国を占領した。両国は米軍支配下で債務を返済し、経済基盤や政治を改善し大規模農業を導入し、有力者(カウディーリョ)の私兵や軍閥に代えて強力で統一された警察や国軍を作るが、これが後に両国の軍部独裁の種となる。1924年の選挙でオラシオ・バスケス(スペイン語版、英語版)が大統領に選出され、同年7月にアメリカ軍は撤退した。
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