アメリカ軍の撤退とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > アメリカ軍の撤退の意味・解説 

アメリカ軍の撤退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 06:32 UTC 版)

南太平洋海戦」の記事における「アメリカ軍の撤退」の解説

日本軍機動部隊三次にわたる攻撃により、ホーネット戦闘力喪失エンタープライズ中破した。エンタープライズ自身所属機くわえてホーネット艦上機収容しており、この時点95機を積載していた。損傷しているエンタープライズは、空爆に対して極めて脆弱になっていた。第61任務部隊状況対し日本軍には無傷空母残っており、キンケイド少将撤退決めたキンケイド提督は、第17任務部隊マレー少将ホーネット曳航作業継続命じると、第16任務部隊南東退避はじめたノーザンプトンはより太い曳航索を用いてホーネット曳航再開した一方日本軍航空機多大な損害受けていたが、残存機をすべて投入して艦隊追撃開始した第一次攻撃発進後の空母隼鷹はただちに第二次攻撃発進準備つとめたが、戦艦榛名より『敵大型陸上機十数発見』の報告があり、攻撃発進中止して上空警戒機(零戦4、艦攻5空中退避)を発進させる。だが味方機と判明し、ふたたび第二次攻撃発進準備努めた午前1113分、隼鷹から第2次攻撃隊(艦攻7機、零戦8機)が発進した零戦のうち2機は瑞鶴所属機白根大尉)、1機は瑞鳳所属機だった。この時の隼鷹には白根大尉零戦だけではなく被弾した他艦所属機翔鶴艦攻1、瑞鶴零戦3、瑞鶴艦爆5、瑞鳳零戦1)も収容している。 続いて1115分瑞鶴から残存機すべての零戦5、艦爆2機、艦攻6機(爆弾装備からなる第3次攻撃隊(指揮官田中一郎瑞鶴分隊長)が発進、他に触接艦攻1機が同行した艦攻6機のうち5機は瑞鳳所属機だった。彼らは索敵から帰還後被弾し瑞鳳降りられず、瑞鶴着艦していたのである。また翔鶴所属零戦2、艦爆1も参加している。 隼鷹第2次攻撃隊は1313分に戦場到達し硝煙視界ぼやける中、速力3-4ノット程度ホーネット曳航中のノーザンプトン襲ったノーザンプトン曳航索を切って魚雷をすべて回避したが、ホーネットには魚雷1本が命中傾斜14度増大する。また電気系統復旧不可となった。そのためメーソン(ホーネット)艦長総員退艦準備発令した隼鷹第2次攻撃隊は敵空母魚雷3本上命中、重巡洋艦魚雷命中報告し零戦2機が行不明・3機が不時着艦攻2機が撃墜という損害出し零戦3機は「瑞鶴」に、艦攻5機は「隼鷹」に帰投した。1機の艦攻魚雷発射できず、隼鷹着艦寸前魚雷棄てている。 数十分後、瑞鶴第3次攻撃隊がホーネット爆撃した。まず艦爆2機による爆撃で1発が至近弾となり、それにより傾斜20となった。ここに至って艦長は退艦命令出した次いで艦攻隊が高度2000m(規定では3000m)から800キロ爆弾による水平爆撃を行う。1発が飛行甲板後端命中。他の5発は至近距離落下し衝撃波によりホーネット大きな損害与えた。この時、鈴谷索敵機や利根索敵機が、ホーネットがまだ沈没していないことを報告した瑞鶴第3次攻撃隊は艦爆1機が隼鷹不時着した他、全機無事に瑞鶴帰投した。 1335分、隼鷹からこの日最後となる艦爆4機、零戦6機からなる隼鷹第3次攻撃隊が発進していた。攻撃前、奥宮航空参謀加藤舜孝中尉隼鷹艦爆先任将校)に出撃命じると、加藤中尉は「またいくんですか」と仰天して立ち上がったという。15時10分、隼鷹第3次攻撃隊は漂流中のホーネット発見20分ほどエンタープライズ捜索した発見できず、ホーネット目標として爆撃開始した爆弾1発が命中ホーネット炎上しつつ右舷傾斜した隼鷹第3次攻撃隊は爆弾4発命中記録し全機帰還している。隼鷹第三次攻撃隊を収容したのち、一旦北上して破損機の修理実施23時頃、空母瑞鶴合同した翌日使用可能兵力は、隼鷹隊(零戦11艦爆8、艦攻5)、瑞鶴隊(零戦33艦爆10艦攻19であったという。 支援部隊指揮官近藤信竹中将旗艦愛宕」)が指揮する前進部隊は、アメリカ軍機動部隊水上戦闘を挑むため追撃戦移った機動部隊前衛近藤長官指揮下に入った動き鈍く旗艦愛宕」からの再三による進撃命令受けてようやく東進開始前進部隊協同行動をとることになった一方アメリカ軍ホーネットから総員を退艦させると、駆逐艦マスティン(英語版)とアンダーソン英語版)にホーネット自沈処分命令した。2隻は少なくとも魚雷16本を発射し、9本は起爆した。だがホーネット沈まず魚雷使い果たした両艦は12.7cm砲弾300発を撃ち込んだが、ホーネットなおも浮いていた。2隻は日本軍索敵機(長良機)に発見されたため、急いで現場海域から離脱した日本軍前進部隊は、長良機・五十鈴機・摩耶機などに誘導されながら接近した。日が暮れようとする海原前進した日本海軍前進部隊は、彼方から遠雷のような砲声聞いた。これは、先にマスティンとアンダーソンホーネット砲弾魚雷撃ち込んでいた音だったと考えられた。 18時30分頃、近藤長官第二水雷戦隊や各艦(妙高高雄巻波陽炎)に米駆逐艦2隻や残存部隊の追跡命じたが、全速逃走する駆逐艦捕捉難しく各隊追跡諦めてホーネットの傍に戻った詳細は「ホーネット (CV-8)#ホーネットの最期」を参照 詳細は「秋雲 (駆逐艦)#ホーネットを撃沈する」を参照 連合艦隊司令部ドーリットル空襲日本衝撃与えたホーネット捕獲しよう試み、「事情許さば、拿捕曳航されたし」と前進部隊迫った。だがホーネット火災浸水でひどく損傷しており、曳航不可能だった。「の船があんなによく燃えるものか」という愛宕乗組員感想残っている。秋雲は12.7センチ24発をホーネット撃ち込んだ微動だにせず、爆雷での処分検討されたが、爆雷射程短く断念された。結局魚雷処分することとなり、秋雲巻雲からそれぞれ2本ずつ発射され3本命中したホーネット秋雲巻雲見守る中、10月27日午前1時35分、サンタクルーズ諸島沖に沈んでいった。日本軍救助したアメリカ軍兵士尋問結果から、アメリカ軍戦力沈んだ空母ホーネットであることを知った

※この「アメリカ軍の撤退」の解説は、「南太平洋海戦」の解説の一部です。
「アメリカ軍の撤退」を含む「南太平洋海戦」の記事については、「南太平洋海戦」の概要を参照ください。


アメリカ軍の撤退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:38 UTC 版)

ワナトの戦い」の記事における「アメリカ軍の撤退」の解説

戦闘の後連合軍東部方面司令官ジェフリー・J・シュロッサー米国陸軍少将パトロール基地放棄決断し基地撤収支援するための増援送ったアメリカアフガン陸軍がワナトから撤退する約束をしてから3日後に、ISAF声明出してISAFアフガン治安部隊今後もワナト近郊通常のパトロール続ける」と発表した連合軍はワナトから約4マイル離れた場所に大型パトロール基地維持し、より大きなペチ渓谷防御専念した。 この地域郡警察アメリカによって武装解除され、郡と郡警察長官一時的に拘留され尋問受けた。郡の長官報道担当者によると、両人24時間以内釈放されと言う戦闘の後ペンタゴン報道カンファレンス公演によると、アメリカ統合参謀本部議長のマイク・ミューレン海軍提督は、事件パキスタンアフガニスタン国境(特に穴の開いたクナル州カシミール、ヌーリスターン)で任務遂行する全ての関係者に対して2つのことを示唆していると述べた1つ地域警察活動をもっと上手くやらなければならないこと。もう1つ連合軍対す攻撃発射台になっているパキスタン連邦直轄部族地域過激派安全地帯をもっと上手く撃滅なければならない事である。AP通信は、攻撃アフガン民兵の力を示した報じた。 しかし第173空挺旅団司令官のチャールズ・プレイスラー大佐2008年7月20日インタビューで、その結論に対して明確に反論した。プレイスラー大佐曰くメディア報道戦闘説明する際に、小隊防御展開レベル間違って説明をした。小隊撤退持ち場の「放棄」ではない。恒久的な防御インフラ作っていないし、残してきた訳でも無い。手榴弾投げる位の接近戦だった事は確かだが、どんな形であれ基地蹂躙され居ない述べた

※この「アメリカ軍の撤退」の解説は、「ワナトの戦い」の解説の一部です。
「アメリカ軍の撤退」を含む「ワナトの戦い」の記事については、「ワナトの戦い」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アメリカ軍の撤退」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アメリカ軍の撤退」の関連用語

アメリカ軍の撤退のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アメリカ軍の撤退のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの南太平洋海戦 (改訂履歴)、ワナトの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS