アメリカ軍の戦闘神経症
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)
沖縄でアメリカ軍を苦しめたのは、戦闘による戦死傷だけではなく、今までにない膨大な数の兵士に生じた戦闘神経症であった。5月末までに、アメリカ軍の戦闘によらない死傷者が、海兵隊で6,315名、陸軍で7,762名合計14,077名発生しているが、この内の多くが戦闘神経症による傷病兵であった。沖縄戦終結時点では26,211名に膨れ上がっていた。 症状としては、軽いものでは感覚麻痩を呈する者が多く、さらに運動麻痩や涕泣(ていきゅう)、無言、無表情といったものであったが、パニック障害、精神錯乱を起こすものもいた。中には屎尿(しにょう)でズボンを汚したり、機関銃を乱射する等の異常行動もみられたという。戦闘神経症患者はこれら症状により「生ける死者」とも呼ばれていた。 沖縄戦での戦闘神経症発生比率は、投入兵力比で7.8%と第二次世界大戦中で最悪の水準となっており、戦闘における死傷者を加えた人的損失率は実に48%と半分近くにも上り、のちの朝鮮戦争における20%~25%、第四次中東戦争の30%と比較しても非常に高くなっている。その理由としてアメリカ陸軍は「最大要因は日本軍の集中砲撃である、それはアメリカ軍が今まで経験したこともない物凄い量であった。この他には日本軍による狂信的で絶え間ない肉弾攻撃もあった」と分析している。 アメリカ軍は、戦闘神経症対策として多くの精神科医を沖縄に送り込み、大規模な野戦病院も準備したが、その野戦病院は常に3,000名〜4,000名の戦闘神経症患者が詰め込まれていた。 野戦病院の治療により、沖縄戦初期の5月8日までは68.2%の患者が原隊復帰を果たしているが、戦闘が激しくなるにつれて復帰率は下がり、末期の6月28日には非戦闘任務復帰者も含めて復帰率は38.2%に落ち込んでいる。 復帰出来なかった兵士はグアム島かアメリカ本土に後送されたが、そこでも完治せず終戦後も症状に苦しんだ兵士も多かった。戦後に追跡調査できた患者の内で2,500名が「現実と分離したまま」の生活を送っていたという調査結果もある。 また、未だに症状を訴える元兵士も存在している。
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