アメリカ軍の新戦術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 15:58 UTC 版)
PT-109とともに行動していた魚雷艇は、どこかへ逃げ去ったり天霧の背後から魚雷を発射したものの命中しなかった。この戦闘を含めてコロンバンガラ島方面の魚雷艇隊の行動は芳しくなく、連携して攻撃する事もなかった。魚雷艇隊は大発1隻を撃沈したのみで駆逐艦の「東京急行」には通用せず、効果がある妨害にはなっていなかった。そこで、第三水陸両用部隊司令官セオドア・S・ウィルキンソン少将は新しい交通遮断の手段として駆逐艦群を投入することになった。しかし、前述のように第36.1任務群は戦力が衰微し、第36.9任務群は遠方にいた。そのため、ウィルキンソン少将が交通遮断のために投入できた戦力は、第31.2任務群の駆逐艦6隻だけだった。 第31.2任務群司令アーレイ・バーク大佐は、かねてから駆逐艦だけで効果的に行える戦術を研究し、その参考資料をはるか昔のポエニ戦争に求めていた。 特にシピオウ・アフリケイナスの戦法は、その実施が合理的で、簡単で、しかも海軍の使用に適合するものとして、私の関心をひいた。この計画は、次ぎ次ぎと奇襲によって敵に攻撃を加えるというところに、その基礎をおいている。これは、二つの駆逐隊が、並行する隊形で航進するように配置することによって達成される。一つの駆逐隊は、夜暗に乗じて敵に近迫、魚雷発射後に避退する。魚雷が命中し、敵が避退する前記駆逐隊に砲撃を開始したならば、第二の駆逐隊は、突如として他の方面から攻撃に移る。混乱した敵がこの新たな予期しなかった攻撃に目を向けたとき、最初の駆逐隊は再び攻撃に転ずる。むろん、ソロモン諸島方面は、多くの島が、第二の駆逐隊に対する敵のレーダーの探知を妨げるのに役立つので、この種の戦法は理想的なものであった。 — アーレイ・バーク、C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』172、173ページ しかし、バーク大佐はこの新戦術を引っさげて出撃する前に、上級指揮官として転出して第31.2任務群から離れる事になった。後任のフレデリック・ムースブルッガー中佐はバーク大佐の戦術を忠実に継承して戦場に臨む事となった。
※この「アメリカ軍の新戦術」の解説は、「ベラ湾夜戦」の解説の一部です。
「アメリカ軍の新戦術」を含む「ベラ湾夜戦」の記事については、「ベラ湾夜戦」の概要を参照ください。
- アメリカ軍の新戦術のページへのリンク