ベラ湾夜戦とは? わかりやすく解説

ベラ湾夜戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 17:34 UTC 版)

ベラ湾夜戦(ベラわんやせん)は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)8月6日ソロモン諸島ベラ湾で生起した海戦[2]日本軍コロンバンガラ島への輸送部隊が、アメリカ軍の水雷戦隊に邀撃され、日本側駆逐艦3隻が沈没した[3]。 アメリカ軍側の呼称はヴェラ湾海戦(Battle of Vella Gulf)[4][5]




注釈

  1. ^ 「○五、被害「夕暮」船体切断沈没。「清波」、「夕暮」救助ニ向ヒタルマヽ0230以後消息ナシ。「熊野」艦尾魚雷命中、浸水、舵操舵不能。」
  2. ^ 「○第十六駆逐隊(二三-二二四五)揚陸終了、皈途ニ就ク。一部残リタルモノアリ、調査中。《揚陸地ヲ「アリエル」トシタルタメ、大発二十数隻行動中可能ノモ〔ノ〕十八隻ノミ、「雪風」「三日月」「浜風」ナリ。」
  3. ^ 「○外南洋部隊(二八-一八四一)作428号 一、増援部隊指揮官ハ駆逐艦四ヲ以テ左ニ依リ海軍部隊ヲRXP(ブイン)ヘ、又陸軍部隊ヲRWN(コロンバンガラ)ヘ輸送スル作戦ヲ実施スベシ。(七-三一-二二〇〇、海軍部隊ヲ ラボール ヨリ駆逐艦三ニヨリ ブイン ヘ、ブイン ヨリ陸軍(第二十三聯隊第三大)ヲ コロンバンガラ ニ輸送ス)」
  4. ^ 「(三)第二十四驅逐隊(涼風、海風略)江風 NTBニ編入中ニシテ前月三十日「トラツク」發今月一日「ラバウル」着爾後同方面作戰行動中ノ處八月六日夜4dg(杯風、嵐)、27dg(時雨)ト共ニ陸兵「コロンバンガラ」輸送任務中敵巡洋艦二以上驅逐艦三及飛行機、魚雷艇多數ノ包囲攻撃ヲ受ケ4dg(萩風、嵐)ト共ニ「コロンバンガラ」島「シヨルダーヒル」ノ三一〇度十九浬附近ニテ遭難沈没ス」
  5. ^ 「○第四駆逐隊(二七-〇八三七)(戦闘経過略)八月二十四日迄ニ判明セシ人員被害 三艦ノ生存者合計、海190、陸120。」
  6. ^ 「○第二十七駆逐隊(〇六-二二三二)二二〇〇QHF〔ベラ海湾〕海面ニテ敵駆逐艦三、魚雷艇、飛行機ノ包囲攻撃ヲ受ケ、「嵐」「江風」魚雷命中、火災。敵駆逐艦ニ雷撃セシモ効果不明。戦場ヲ一時避退ス。」
  7. ^ 「○所見 (イ)敵ハ「コロンバンガラ」島ヲ背景トシ、狭視界巧ミニ接敵発射、雷撃効果ヲ確メ砲撃セルモノニシテ、早クヨリ電探ヲ使用シ、魚雷戦準備ヲナセルコト確実ナリ。電探、逆探装備ヲ要ス。優秀駆逐艦ヲ輸送作戦ニ使用セズ、優速輸送船ヲツクルコト。砲、人力旋回力ヲ強化スルコト。」

出典

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「ベラ湾夜戦」の続きの解説一覧

ベラ湾夜戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 06:12 UTC 版)

嵐 (駆逐艦)」の記事における「ベラ湾夜戦」の解説

詳細は「ベラ湾夜戦」を参照 1943年昭和18年8月6日ブインおよびコロンバンガラ島への輸送のため増援部隊ラバウル出港し第三水雷戦隊旗艦司令官伊集院松治少将)の軽巡川内陸兵450名、物資130トン)はブイン向かい駆逐艦4隻(萩風《第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐座乗》、嵐、江風時雨)はコロンバンガラ島へ向かう。警戒隊は時雨(第27駆逐隊司令原為一大佐)、輸送隊は3隻(第4駆逐隊萩風、嵐》、第24駆逐隊江風》)で、輸送兵力陸兵950名と物資90トンである。日中時点輸送隊アメリカ軍哨戒機捕捉され行動報告されていた。これに対し日本側は「敵有力部策動恐れあり」程度にしかアメリカ軍行動把握しておらず、予定されていた水上偵察機夜間哨戒天候不良理由中止されている。 同日夜、コロンバンガラ輸送隊ソロモン諸島コロンバンガラ島沖(ベラ湾)にて、フレデリック・ムースブラッガー中佐指揮下の米水上部隊駆逐艦6隻)と交戦した(ベラ湾夜戦)。戦闘当時の天候曇り視界不良萩風-嵐-江風-時雨単縦陣アメリカ軍レーダー捕捉され先制雷撃受けた敵艦隊に気付いたものの回避は間に合わず、まず江風轟沈した。その後砲撃により第4駆逐隊2隻(嵐、萩風)も相次いで沈没した。完全な奇襲の上複数方向から雷撃砲撃されたため、日本側は水上艦艇魚雷艇飛行機による同時攻撃錯覚している。 嵐は左舷への被雷と共に主砲魚雷発射管使用不能となり、搭載していた陸軍物資弾薬引火して炎上した前部残っていた25mm機銃最後まで反撃努めた。しかし米艦隊砲撃により、間もなく沈没している。嵐では艦長以下178名(または182名)が戦死艦長脱出したものの生還せず)、生存者は嵐、萩風各艦約70名、江風40名。三隻が分乗させていた陸軍兵は940名中約820名が戦死した生存者ベララベラ島漂着しその後救出された。 生還した日本駆逐艦時雨のみであった時雨魚雷8本を発射するも、効果はなかった(時雨側は駆逐艦1隻に命中誤認)。その後、米艦隊追撃振り切った時雨生存者救助陸上部隊依頼ブイン輸送終えた川内合流してラバウル帰投した。8月9日大本営は「飛行機魚雷艇協同する水雷戦隊交戦駆逐艦1隻を撃沈、わが方もまた駆逐艦1隻沈没、1隻大破」と発表したアメリカ軍発表は「日本軍巡洋艦2隻撃沈駆逐艦1隻撃沈駆逐艦1隻撃破」だったという。 駆逐艦嵐と萩風10月15日附で不知火型駆逐艦第4駆逐隊帝国駆逐艦籍、それぞれから除籍された。

※この「ベラ湾夜戦」の解説は、「嵐 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「ベラ湾夜戦」を含む「嵐 (駆逐艦)」の記事については、「嵐 (駆逐艦)」の概要を参照ください。


ベラ湾夜戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 18:48 UTC 版)

江風 (白露型駆逐艦)」の記事における「ベラ湾夜戦」の解説

ニュージョージア島の戦い」も参照 修理完成後の5月27日より、給糧艦伊良湖」、特設巡洋艦愛国丸」を佐世保からトラック泊地まで護衛し6月中旬二水戦2隻(神通江風)は第二航空戦隊空母隼鷹飛鷹基地要員ルオット輸送従事、同島の補給状況見た二水司令官伊崎俊二少将輸送物件加えて2隻(神通江風)の糧食まで陸揚させている。 6月27日、第24駆逐隊司令駆逐艦は「涼風」に変更となる。6月末、重巡鳥海」、護衛駆逐艦雪風涼風江風谷風)と共をラバウル進出中、「江風」は軸受故障によりトラック引き返した7月6日クラ湾夜戦参戦した涼風」が損傷する第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将戦死三水戦旗新月沈没)。7月8日、第24駆逐隊司令中原義一郎大佐から久保田智大佐海兵46期)に交代した中原8月20日より、夕雲型駆逐艦3隻《涼波、藤波早波》で編成され第32駆逐隊司令)。7月12日、「江風」は米潜水艦スピアフィッシュ (USS Spearfish, SS-190) と交戦し損傷した7月13日軽巡神通」(二水戦旗艦)がコロンバンガラ島沖海戦沈没第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将と共に二水司令部全滅する。そこで第四水雷戦隊解隊され、同隊戦力司令官高間少将旗艦長良第27駆逐隊時雨白露有明夕暮》、五月雨等)がそのまま第二水雷戦隊転用された。修理終えた江風」は7月30日トラック出発8月1日ラバウル到着した8月2日より「江風」は駆逐艦松風」を指揮してツルブ輸送従事した。この任務では陸兵のほかにも便乗者がいた。ツルブ行の便では7月28日座礁沈没した駆逐艦三日月調査するための調査員4名(同艦駆逐艦長ふくむ)を輸送帰路には三日月と共に座礁沈没した駆逐艦有明生存者56名を輸送している。 詳細は「ベラ湾夜戦」を参照 8月6日第三水雷戦隊旗艦川内型軽巡1番艦「川内」および駆逐艦4隻(指揮官杉浦嘉十大佐/第4駆逐隊司令第十戦隊・第4駆逐隊萩風、嵐》、第二水雷戦隊・第24駆逐隊江風》、第27駆逐隊時雨》)はラバウル出撃する前日輸送作戦駆逐艦天霧」がアメリカ軍魚雷艇艇長ジョン・F・ケネディ中尉)と衝突して損傷したため、その代艦として「江風」が参加することになったのである。「川内」がブイン輸送向かい輸送隊3隻(萩風、嵐、江風)・警戒時雨コロンバンガラ島へ向かう。対すアメリカ軍先のクラ湾夜戦コロンバンガラ島沖夜戦巡洋艦部隊多大な損害受けており、日本艦隊迎撃駆逐隊投入することにした。フレデリック・ムースブラッガー中佐率いるのは、アメリカ軍第31.2任務群の駆逐艦6隻(第12駆逐隊《ダンラップ、クレイヴン、モーリー》、第15駆逐隊ラングスタレットスタック》)であった8月6日2130分、コロンバンガラ島ベララベラ島挟まれベラ湾哨戒するアメリカ軍駆逐隊は、レーダー南南東へ進む日本艦隊探知すると、魚雷24本を発射した萩風-嵐-江風-時雨単縦陣形成していた日本艦隊は、駆逐艦3隻(萩風、嵐、江風)が同時に被雷回避できたのは「江風」の後方1000mを航行していた「時雨」だけだった。なお日本軍巡洋艦2隻以上、駆逐艦3隻、航空機魚雷艇包囲攻撃受けた錯覚している。 「江風」はスタレットUSS Sterett, DD-407)、スタックUSS Stack, DD-406)からの砲撃雷撃を受け沈没柳瀬艦長以下169名が戦死した。ほぼ轟沈であった沈没地点記録南緯0750東経15654分 / 南緯7.833度 東経156.900度 / -7.833; 156.900。また第4駆逐隊萩風、嵐)も一方的に撃沈された。「時雨」は魚雷8本を発射して反撃した戦果をあげるに至らず魚雷の次発装填を終えて戻ってきたものの、米艦隊交戦することなく戦場離脱。「川内」と合流してラバウル戻った輸送作戦は完全に失敗し輸送隊3隻が分乗していた増援部隊940名のうち820名が戦死したとされる10月15日、「江風」は白露型駆逐艦24駆逐隊帝国駆逐艦籍、それぞれから除籍された。10月31日朝潮型(満潮型)駆逐艦満潮」が第24駆逐隊編入され、同隊は3隻(海風涼風満潮編制となった

※この「ベラ湾夜戦」の解説は、「江風 (白露型駆逐艦)」の解説の一部です。
「ベラ湾夜戦」を含む「江風 (白露型駆逐艦)」の記事については、「江風 (白露型駆逐艦)」の概要を参照ください。

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