天霧とPT-109
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 15:58 UTC 版)
「ジョン・F・ケネディ#PT109」も参照 第八方面軍(司令官今村均中将)は、レカタからブインに移した陸軍部隊をコロンバンガラ島に進出させる事に決する。また外南洋部隊(指揮官:第八艦隊司令長官鮫島具重中将)は麾下の外南洋部隊増援部隊(指揮官:第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐)に対し、陸軍部隊と海軍陸戦隊の輸送を命じた。一連の輸送作戦は、以下の艦艇によって行われた。第三水雷戦隊所属の第11駆逐隊は損耗が激しく、作戦可能駆逐艦は天霧1隻という状況であった。 輸送部隊:指揮官杉浦嘉十大佐(第4駆逐隊司令、萩風座乗)輸送隊:指揮官杉浦嘉十第4駆逐隊司令/第4駆逐隊(萩風、嵐)、第27駆逐隊(時雨) 警戒隊:指揮官山代勝守第11駆逐隊司令/第11駆逐隊(天霧) 陸戦隊員763名と物件54トンを載せた輸送隊3隻(萩風〔第4駆逐隊司令杉浦大佐〕、嵐、時雨〔第27駆逐隊司令原為一大佐〕)は、7月31日朝にラバウルを出撃した。ブインに到着後、陸戦隊と物件を降ろし、代わりに陸海軍人員902名と物件73トンを搭載する。8月1日未明にブインを出撃し、同日ラバウルを出撃して追いかけてきた警戒隊の吹雪型駆逐艦天霧(第11駆逐隊司令山代大佐、天霧駆逐艦長花見弘平少佐)と、ブカ島近海で合流してコロンバンガラ島へ向かう。山代(当時、第11駆逐隊司令)の回想によれば、輸送部隊は萩風〔旗艦〕・嵐・時雨・天霧の単縦陣であったという。 杉浦大佐指揮下の輸送隊部隊はベラ湾を通過して魚雷艇の襲撃(山代大佐によれば、岩礁の誤認)と夜間爆撃を退け、ウェブスター入江に入泊して揚陸を開始した。警戒隊の天霧は分離して、周囲を警戒した。輸送隊は、輸送物件全量を揚陸し任務を完了する。任務を終えた輸送隊は、第九三八航空隊の水上偵察機が発見した敵艦隊を避けるため再びベラ湾を経由し、ブーゲンビル島東方を経てラバウルに帰投した。天霧はウェブスター入江沖で警戒の後、輸送隊の後を追って速力を上げた。8月2日未明、天霧は米軍の魚雷艇(PT-109)と遭遇し、衝突して魚雷艇を真っ二つにしてしまう。花見艦長は「意図的に体当たりを命じた」と回想するが、山代司令は「花見艦長に回避を命じたが手違いがあり、避けきれずに衝突した」と回想する。衝突の際小さな爆発か閃光らしいものが上がったが、天霧は艦首とスクリューを損傷しただけで済んだ。この魚雷艇がジョン・F・ケネディ中尉が艇長を務める「PT-109」であり、ケネディ中尉は他の乗員とともに海に放り出された。2名が戦死したものの、残り11名とともに近くの小島に漂着の後、一週間後に救助された(コースト・ウォッチャーズ)。第3艦隊(南太平洋部隊)司令官ウィリアム・ハルゼー大将から表彰された。
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