戦歴・兵装の変遷とは? わかりやすく解説

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戦歴・兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 09:28 UTC 版)

シムス級駆逐艦」の記事における「戦歴・兵装の変遷」の解説

初めは全隻大西洋艦隊配備された。真珠湾攻撃後ウェインライトバックロウ大西洋戦線留まり残り太平洋戦線転じたバックサレルノ沖でUボート攻撃により沈没しウェインライトロウ地中海の戦い幕を閉じると、本国帰投して整備の上太平洋戦線移動した太平洋戦線戦った艦は、初期から日本海軍激闘演じた珊瑚海海戦シムス沈没すると、続くミッドウェー海戦ではハムマンが、損傷した空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) に横付け中、伊168雷撃沈没した9月15日にはオブライエンが、伊19空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) を狙って命中しなかった酸素魚雷命中を受け、応急修理後に本国帰投中、船体折れて沈没したウォーク第三次ソロモン海戦沈没した残存艦はマーシャル諸島ニューギニアフィリピン硫黄島沖縄転戦して大戦生き残ったが、1946年までに全艦が退役した残存艦の内3隻はオーバーホール途中退役決定しスクラップとされた。4隻はビキニ環礁での原爆実験であるクロスロード作戦使用され1隻が最初爆発沈没、3隻は2年後標的艦として撃沈された。 太平洋配備艦、大西洋配備ともども大戦中に40ミリ機関砲20ミリ機銃装備して対空火器充実させた。神風特別攻撃隊出現した後、魚雷発射管全て降ろして対空火器さらなる充実図られることとなり、マスティン、ラッセルモリスの3隻が当該改修実施した

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戦歴・兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 02:58 UTC 版)

クレムソン級駆逐艦」の記事における「戦歴・兵装の変遷」の解説

戦間期には、1923年9月8日ホンダポイント遭難事件で7隻を、衝突事故で2隻を失ったまた、ヤーロウ社製の主缶搭載していた57隻が、ヤーロウ缶の状態悪化により早期除籍解体された。ロンドン海軍軍縮条約による解体免れた内、19隻が第二次世界大戦期レンドリース法によりイギリス海軍貸与された(タウン級駆逐艦)。他の艦は近代化改装されるか、水上機母艦や軽敷設艦掃海駆逐艦および高速輸送艦マンリー級)として使用された。除籍艦の中にはアメリカ沿岸警備隊使用された艦や民間払い下げられ果物運搬になった艦もある。 大西洋配備艦は中立パトロール経てUボートとの戦い明け暮れこのうちボリーは、1943年11月1日にU-405と相撃ちになって翌日沈没したアジア艦隊英語版配備艦は南方作戦協力する日本海軍対決1942年1月24日バリクパパン沖海戦では日本側の隙を突いて上陸船団泊地奇襲し戦果挙げた。しかし、圧倒的な日本海軍戦力前に損傷して早期脱出した艦を除いて次々と失われていったスチュワートバリ島沖海戦損傷後スラバヤ自沈処分付されたが処置が十分でなく、後に日本海軍によって復旧され日本海軍所属第102号哨戒艇として就役した。戦後米軍によって再発見・再接収されアメリカ本土戻った後に標的艦として処分された。他艦種転籍した艦の中には護衛艦不足のため駆逐艦籍に戻った艦もいる。第二次世界大戦による損耗経て残存した艦は1946年までに全て除籍された。 駆逐艦籍に留まった艦、および駆逐艦籍に復籍した艦は主砲両用砲換装し、魚雷発射管一部撤去して対空兵装対潜兵装充実させた。また、缶を1基撤去して三本煙突になった艦もある。

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戦歴・兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/11 23:24 UTC 版)

マハン級駆逐艦」の記事における「戦歴・兵装の変遷」の解説

全隻が太平洋戦争日本海軍戦ったまた、アメリカ海軍優位に立っていない緒戦から日本軍死闘演じたため被害も多い。1941年12月8日真珠湾に在泊していて日本海軍真珠湾攻撃によりショーカッシンダウンズの3隻が損傷したそのうちカッシンダウンズ爆撃受けて沈没し浮揚の後に修理され上で戦列復帰した1942年8月4日には、タッカー味方敷設した機雷触雷し、エスピリトゥサント島(現バヌアツ近海沈没した同年11月13日には第三次ソロモン海戦米軍呼称ガダルカナル海戦)で日本海軍との夜戦によりカッシングプレストン撃沈された。1943年11月パーキンスオーストラリア兵員輸送艦ダントルーンと衝突し沈没下って1944年12月にはフィリピン・オルモック湾にて日本軍機(陸軍機説が有力)の突入を受け、マハン12月7日に、リード12月11日撃沈された。戦闘で4隻(タッカー含めれば5隻)、事故で2隻が沈没し16隻中6隻を失った戦後カニンガムラムソン原爆実験クロスロード作戦使用された他は1946年退役し1947年処分された。 兵装の変遷については、まず1942年からレーダー装備による三番砲および一部搭載品の陸揚げエリコン20mm機関砲装備実施された。三番跡地には20mm機関砲2基、次いでボフォース 40mm連装機関砲2基が装備された。40mm機関砲重量半端ではなかったが、1944年10月から出現した神風特別攻撃隊対策として更なる装備が行われ、代わりに全ての魚雷発射管四番砲の撤去実施された艦も出現した真珠湾攻撃大破したカッシンダウンズは、機関部艤装品をそのまま使用して船体改め建造され再就役したが、5インチ単装砲は4基、4連装魚雷発射管は2基装備となった

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戦歴・兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 03:19 UTC 版)

バッグレイ級駆逐艦」の記事における「戦歴・兵装の変遷」の解説

本級8隻は1941年12月7日真珠湾攻撃遭遇し第二次世界大戦では終始太平洋戦線活躍した1942年から1943年にかけてのソロモン諸島の戦いでは主力一部成しブルーヘンリージャーヴィスの3隻がソロモン諸島での戦闘失われた。バッグレイは戦争終結後の在南鳥島日本軍部隊降伏式立ち会った。マグフォードとラルフ・タルボットの2隻は特攻機命中を受け、戦後クロスロード作戦供用された後、クェゼリン環礁で海没処分となった残りの3隻はスクラップとして売却された。 兵装のうち、対空火器1942年中に20ミリ機銃への換装終えている。グリッドレイ級では重量復原性の関係で搭載できなかった40ミリ機関砲連装タイプ1基を搭載する事ができた。魚雷発射管グリッドレイ級とは異なって最後まで4基装備していた。

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戦歴・兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 03:23 UTC 版)

サマーズ級駆逐艦」の記事における「戦歴・兵装の変遷」の解説

第二次世界大戦勃発後は主に大西洋方面哨戒任務にあたり太平洋戦争始まった後も護衛哨戒任務従事した嚮導艦として建造された当級であったが、日本海軍同様に嚮導艦役目軽巡洋艦が受けもち、駆逐艦大型化進んだため嚮導艦として運用されず、アメリカ海軍建造した最後嚮導駆逐艦となったウォリントンサンプソンの2隻は太平洋戦線ニューギニア方面支援任務参加したが、このうちウォリントン1944年訓練中に暴風雨遭遇しトップヘビー災いしてバハマ沖で沈没したその他の艦大きな海戦参加することなかったが、ドイツUボート封鎖突破船狩りいくつか戦果挙げノルマンディー上陸作戦ドラグーン作戦などにも参加したウォリントンを除く残存艦は1945年退役し1946年から1947年にかけて売却され解体された。 大戦勃発前からのトップヘビー改善改修続いて大戦中は三番砲が撤去され40ミリ連装機関砲20ミリ機銃装備された。デイヴィスジョーエット1945年入ってポーター改修艦と同様に5インチ砲を連装2基と単装1基に改め艦橋低くされた。魚雷発射管はすべて陸揚げされて、代わりに40ミリ機関砲充実させた。

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戦歴・兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 02:59 UTC 版)

グリッドレイ級駆逐艦」の記事における「戦歴・兵装の変遷」の解説

全隻が太平洋戦争勃発直後から機動部隊護衛にあたり1942年6月ミッドウェー海戦後ソロモン諸島の戦い転戦した1943年8月6日ベラ湾夜戦にはクレイヴンとモーリー参加し日本海軍駆逐艦萩風、嵐、江風の3隻を雷撃撃沈グリッドレイ級の戦歴ハイライトとなったその後も、ギルバート諸島マーシャル諸島マリアナ諸島およびフィリピン近海引き続き機動部隊火力支援部隊随伴し続けた。しかし、次に述べ事情から漸次太平洋戦線から離れる事となった。 前述したように、バッグレイ級とほぼ同じ船体持ちながら復原性問題があった。これは対空火器増強の上大きなネックとなった1943年中旬までに既存の12.7ミリ機銃換装増強によって20ミリ機銃合計8基装備したが、グリッドレイ級における対空火器増強は、これが精一杯だった。40ミリ機関砲重量の関係で搭載せず、ファラガット級駆逐艦以降アメリカ海軍駆逐艦の中で40ミリ機関砲唯一搭載しなかったクラスとなった1944年10月神風特別攻撃隊出現し以降20ミリ機銃だけしか持たないグリッドレイ級は対空火器貧弱判断され、全隻が真珠湾本国への回航ついでに大西洋方面回航された。この際魚雷発射管のうち後部の2基が撤去された。終戦後1947年までに全隻が売却され処分された。 なお、一本煙突アメリカ海軍駆逐艦というのはそれなりのインパクトがあったのか、1944年10月25日レイテ沖海戦栗田健男中将日本艦隊が第77.4.3任務群(通称タフィ3」。クリフトン・スプレイグ少将)を攻撃した際、日本側は反撃出てきた護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツ (USS Samuel B. Roberts, DE-413) を「クラベン型駆逐艦」(グリッドレイ級)として識別している。

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戦歴・兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 15:04 UTC 版)

ポーター級駆逐艦」の記事における「戦歴・兵装の変遷」の解説

上記のように、4基の連装台座に計8門の5インチ砲を装備していたが、重量前方偏ることが判明したまた、1939年からのヨーロッパ戦線での戦訓鑑みて平射砲両用砲への換装検討された。しかし、換装するにしてもその他の重量物を陸揚げしないとバランス取れなかった事から、まず後部甲板室と後撤去され前檣大幅に簡素化された。対空機銃として20ミリ機銃追加されレーダー装備された。1942年10月26日南太平洋海戦戦没したポーターは、恐らくこの艦容失われた1943年に入ると装備変遷顕著となり、20ミリ機銃40ミリ機関砲換装され、二番砲あるいは三番砲が代償として撤去された。1944年遅く入って、ようやく両用砲への換装実現することとなった。セルフリッジを例にすると、両用砲連装砲が一番砲と三番砲(旧・四番砲)の位置に、単装砲が二番砲(旧・三番砲)の位置装備され、これに伴って40ミリ機関砲位置艦橋前の旧・二番砲の位置移設された。神風特別攻撃隊出現すると、その対策として対空兵装更なる充実図られフェルプスウィンスロー魚雷発射管撤去して40ミリ機関砲増強が行われた。レーダー射撃装置年毎更新され有能な対空射撃システム確立したアメリカ第二次世界大戦参戦時、モフェット、マグダガル、ウィンスローの3隻が大西洋方面に、残り太平洋方面配備されていた。ドーリットル空襲ミッドウェー海戦ソロモン諸島の戦いサイパンの戦いなどに参加しポーター以外の戦没艦はなかったが、セルフリッジは1943年10月6日第二次ベララベラ海戦酸素魚雷命中により艦首をもぎ取られる損害を蒙った。戦争終結後多く早期除籍され姿を消したが、ウィンスロー特務艦転じて1959年売却された。

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戦歴・兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 02:37 UTC 版)

ベンハム級駆逐艦」の記事における「戦歴・兵装の変遷」の解説

第二次世界大戦参戦前から中立パトロール活躍大戦参戦時、ベンハムとエレットが太平洋艦隊に、残り大西洋艦隊それぞれ配属されていた。大西洋艦隊属した艦はアイスランド侵攻ペデスタル作戦トーチ作戦ハスキー作戦などに参加しローワン失ったまた、ラングスタレットスタックウィルソン空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) の護衛役として太平洋戦線転じたベンハムとエレットはドーリットル空襲ミッドウェー海戦ガダルカナル島の戦い参戦第三次ソロモン海戦ベンハム沈没した1943年8月6日ベラ湾夜戦にはラングスタレットスタックがグリットレイ級のクレイヴン、モーリーとともに日本海軍駆逐艦萩風、嵐、江風の3隻を雷撃撃沈したその後マーシャル諸島マリアナフィリピン硫黄島および沖縄転戦した戦後はエレット、ラングスタレットの3隻が1947年スクラップにされ、残り太平洋で原爆実験供用された後に海没処分となった対空火器増強やそれに伴う重量軽減策漸次施工された。ラングスタレット1945年魚雷発射管全て陸揚げして代わりに対空火器および対潜兵装大幅な増強実施した

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