地中海戦域 (第二次世界大戦)
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第二次世界大戦における地中海戦域(ちちゅうかいせんいき、英:Mediterranean theatre)は、1940年6月10日のイタリア王国の連合国への宣戦布告から1945年5月2日のドイツ・イタリア方面軍の降伏まで続いた、地中海全域の海域・島嶼・沿岸で繰り広げた一連の陸戦・海戦・空戦のこと。
- ^ 『砂漠のキツネ』P.400 - 464
- 1 地中海戦域 (第二次世界大戦)とは
- 2 地中海戦域 (第二次世界大戦)の概要
- 3 開戦時の地中海の情勢
- 4 参考文献
地中海の戦い
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ジェノヴァ出身の海軍提督アンドレア・ドーリアは1550年9月8日にカール5世の命令でマーディアを占領した。アンリ2世はハプスブルク家への対抗としてスレイマン1世と同盟した。フランスは同盟を後ろ盾にして、ライン川左岸に侵攻し、一方でフランス=オスマン連合艦隊は南フランスを守備した。 1551年のオスマン帝国によるトリポリ包囲戦(英語版)は第六次イタリア戦争の序曲となった。時を同じくして、マルセイユに泊まっているフランスのガレー船はオスマン艦隊との合流を命じられた。1552年、アンリ2世がカール5世を攻撃すると、オスマン帝国はガレー船100隻とガブリエル・ダラモン(英語版)率いるフランスのガレー船3隻を地中海西部に送った。連合艦隊は南イタリアのカラブリア沿岸を荒らしまわり、レッジョを占領した。ポンツァ島の近くで起きたポンツァ島の戦い(英語版)ではこの連合艦隊がアンドレア・ドーリア率いる40隻のガレー船に勝利し、7隻を拿捕する結果となった。連合艦隊は翌年のコルシカ島侵攻(英語版)でアンドレア・ドーリアに再び勝利して島を占領した。それ以降も地中海でハプスブルク家領をたびたび攻撃し、1558年にはアンリ2世の要請でバレアレス諸島に侵攻・占領(英語版)した。
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