地中海の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:03 UTC 版)
「アーク・ロイヤル (空母・初代)」の記事における「地中海の展開」の解説
アーク・ロイヤルは巡洋戦艦フッドと3隻の駆逐艦と共にスカパ・フローを離れ、1940年6月23日、ジブラルタルに到着した。ここで同空母はジェームズ・サマヴィル下のH部隊に加わった。フランス降伏後、メルセルケビール(アルジェリア)のフランス艦隊が枢軸支配下に入り、戦争全体に影響を及ぼして地中海の勢力のバランスを傾ける懸念があった。アーク・ロイヤルの艦長セドリック・ホランドはパリのイギリス公使館付海軍武官であったので、フランス艦隊の降伏や自沈を交渉するために送られた。H部隊は、港外に配置され、フランスの海軍大将達が提示された条件に同意しなかった時、フランス艦船に砲撃を開始した。これがメルセルケビール海戦で、アーク・ロイヤルの艦載機は、イギリス艦船へ標的情報を提供した。フランスの戦艦ストラスブールは、アーク・ロイヤルの艦攻ソードフィッシュの攻撃を回避した。攻撃の二日後、アーク・ロイヤルの艦載機は、先の攻撃で浜に乗り上げたフランスの戦艦ダンケルクを無力化した。 H部隊は地中海でのフランスの戦闘可能性を減らし、7月8日にジブラルタルからイタリアを標的とした攻撃を準備した。同部隊は出発の8時間後、イタリアの爆撃機の攻撃を受けた。H部隊には損害は無かったが、サマヴィルは攻撃を取りやめ、艦隊をジブラルタルに向かわせた。7月中、イギリスのマルタ植民地がイタリア空軍の攻撃を受け、H部隊が島の防空強化のためのホーカー・ハリケーン配送を命じられた。H部隊は7月31日から8月4日に配置され、空母アーガスが航空機の配送に使用され、アーク・ロイヤルは艦隊用の防空支援を提供した。8月2日、アーク・ロイヤルは、カリアリのイタリア空軍基地に対する空襲を成功させた。 H部隊は9月30日までジブラルタルに残り、アンドルー・カニンガム提督のアレクサンドリア艦隊の援軍を護衛した。途中、この援軍作戦とマルタへの補給船団の出港の両方から注意を逸らせるため、エルマスとカリアリのイタリア空軍基地への陽動攻撃が計画された。攻撃は10月1日に首尾よく行われ、艦隊はイタリア空軍から注目を集めることなくアレキサンドリアに到達した。アレキサンドリアからアーク・ロイヤルは外され西アフリカに送られ、ヴィシー・フランスの植民地に自由フランスへ忠誠を変えるよう促すイギリスの試みを支援した。交渉中、いくつかの自由フランスの航空機がアーク・ロイヤルから飛び立ったが、彼らの航空機はダカールで捕まった。交渉は失敗し、アーク・ロイヤルの艦爆はイギリスの武力でのダカールの奪取の試みが不調の間、軍事施設に向けられた。この後、アーク・ロイヤルはフォーチュン、フォレスターとグレイハウンドに護衛されて改装のためにイギリスに帰り、10月8日にリバプールで入渠する。11月3日までの修理には、機械の修理と新しい飛行甲板の遮蔽柵敷設が含まれていた。 改装後、アーク・ロイヤルは戦艦バーラム、重巡ベリック、グラスゴーと一緒にジブラルタルに出航し、11月6日に到着した。この部隊はジブラルタルからアレクサンドリア、マルタへの輸送船団を護衛するために、H部隊の残りと配置された。1940年から1942年の間のマルタ支援の35船団の一つで11月25日のMB9作戦(カラー作戦)に割り当てられるまでに、護衛は数回実行された。戦艦ジュリオ・チェザーレとヴィットリオ・ヴェネトが率いるイタリア艦隊が同護送隊を迎撃するために派遣された。このイタリア艦隊はアーク・ロイヤルの偵察機によって発見され、同空母は艦上雷撃機ソードフィッシュを放ち、H部隊の主力艦は会敵すべく進路変更を行った。この戦闘、スパルティヴェント岬沖海戦で、イタリアの駆逐艦ランチエーレは損傷したが、イギリスの爆撃機や砲火が原因であるかどうかは不明である。イギリスはランチエーレを巡洋艦と間違えたが、イタリアの司令官は巡洋艦ボルツァーノが被弾したという不正確な報告を受けた。イギリスの攻撃は、他のイタリア船に損傷を与えたり、この無効化した駆逐艦を沈めることができず、イタリア空軍による報復攻撃がアーク・ロイヤルを多重爆撃の対象と見なしたが、いずれも打撃を受けなかった。この戦いはイギリス船団が無傷で目的地に到達した以外は、明確な結果が無かった。 1940年12月14日、アーク・ロイヤルとH部隊は、ジブラルタルから大西洋に再配置され、アゾレス諸島に通商破壊艦を捜索した。アーク・ロイヤルは12月20日に地中海に戻り、12月27日までマルタから戦艦マレーヤと商船を護衛した。H部隊は、MC4作戦(エクセス作戦):イタリア陸軍をエジプトからリビアに押し出そうとする西部砂漠軍を支援するために、地中海を通して船団を動かす作戦に関わるようになった。 次の月には、地中海の戦域でのイギリス支配が弱まったが、取り分けドイツ空軍の参入と空母イラストリアスの大破による。地中海艦隊が東部地中海の枢軸下の圧力下にあり、一方ジブラルタルのイギリス領港は、スペインが戦争の外に在り続けドイツとの同盟を選択した場合には失われることになる。地中海艦隊を楽にするため、イギリスの強さをスペインに示威しながら、海軍本部とカニンガム提督はイタリアを標的に、重艦隊の砲撃の下で、アーク・ロイヤルのソードフィッシュ爆撃隊を使うことを計画する。1月2日の最初のサルデーニャのティルソ・ダムの爆撃は成功しなかったが、1月6日のアーク・ロイヤルのソードフィッシュ隊は港湾都市ジェノヴァ爆撃ではもっと成功した。同空母の艦載機はまた港を砲撃している間、巡洋戦艦レナウン、戦艦マレーヤを支援した。1月9日、アーク・ロイヤルはラ・スペツィアで石油精製所を爆撃し、港に機雷を撒くために艦載機を放ち、両作戦は成功した。
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