地中海の反攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:10 UTC 版)
「ウォースパイト (戦艦)」の記事における「地中海の反攻」の解説
1943年6月にジブラルタルに拠点を置くH部隊に加わり、7月にはハスキー作戦(シチリア島上陸)に参加した。戦艦ネルソン、ロドニー、ヴァリアント、空母フォーミダブルらとシチリア島への上陸支援のため、ウォースパイトは7月17日にカタニアのドイツ軍に対して艦砲射撃を行った。 9月8日と9日にはイタリア本土のサレルノに対する上陸作戦(アヴァランチ作戦)を掩護し、ドイツ空軍の激しい爆撃を受けたが、多くを撃墜。以後、英米軍はイタリア半島を北上した(イタリア戦線)。本土上陸前にイタリア政府は降伏を決めており、9月10日、ウォースパイトはかつて砲火を交えたイタリア艦隊のマルタ島回回航を監視することになった。 サレルノに上陸した連合国軍がドイツ軍の反撃で劣勢に追い込まれたため、ウォースパイトは9月15日に支援任務に戻った。ウォースパイトと戦艦ヴァリアントはドイツ軍に対して艦砲射撃を行った。しかし、翌9月16日にはドイツ空軍の攻撃で大破した。ウォースパイトは初期の誘導爆弾であるFX-1400(フリッツX)が3発中2発が命中。そのうちの1発が煙突の背後の水上機格納庫に命中、フリッツXは主甲板をも貫いて機関区で爆発。船体中央部の甲板に巨大な穴を開けた。もう1発は右舷側のバルジを貫通して爆発した。これにより第4ボイラー室が壊滅。隣接するボイラー室へも舷側からの浸水が入り込んで6基あるボイラーのうち稼働できるのは1基のみとなった。浸水はみるみるうちに5000トンにも達し、右側に5度も傾いてしまった。 ウォースパイトは機関が停止して掃海が済んでいない機雷原へ向かって漂流を始めたが、乗組員とタグボートの努力で触雷は回避した。唯一の救いは犠牲者が少ないことで、9名が戦死して負傷者14名だった。アメリカ海軍がすぐさまマルタ島に後退させようとしたものの曳航は困難を極め、メッシーナ海峡で曳航線が2本とも千切れて一時漂流してしまうこともあった。9月19日にようやくマルタ島に到着し、ジブラルタルに曳航する前に応急修理を行った。この時のマルタ島ではウォースパイトが入れるドックが全壊しており、応急修理は困難を極めた。それでもボイラーが修理され、タービン機関が1基だけ動くようになったのでジブラルタルへと曳航することができた。11月8日にジブラルタルに到着したウォースパイトは4週間にもわたる修理を受けたが、損傷を受けた第4ボイラーの修理は断念して主砲塔も2基しか稼働できない状態だった。1944年3月にウォースパイトは更なる修理のためイギリスのロサイスへ戻った。ロサイスでの修理では3番主砲塔の修理は見送られたが、機関の修理が進んで約21ノットまでの航行が可能となった状態で4月末で戦線復帰した。
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