シチリア島上陸
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当時、シュラクサイはディオンが殺害され、ディオニュシオス2世が僭主の座に復権していたが、シュラクサイはレオンティノイの僭主ヒケタスによって包囲攻撃されていた。しかし、ヒケタスは自由のためではなく、自らの支配欲求のために戦っていた。 シュラクサイ人たちはコリントスへ使節を派遣し、この僭主同士の戦争から解放してくれる指導者を求めた。元はと言えばシュラクサイはコリントスの植民市であり、コリントスはシュラクサイの頼みを断ることができなかった。そこで選ばれたのがティモレオンであった。指揮官に任命されたティモレオンは、7隻の軍船と少数のコリントス重装歩兵、700人の傭兵を連れてシチリア島を目指した。その三日前にヒケタスは部分的にシュラクサイを支配することに成功しており、これを脅かされたくなかった彼は、カルタゴの三段櫂船20隻と使節をティモレオンに派遣した。使節は「ヒケタスの勝利によってもうすぐ戦争は終結する。その軍隊をコリントスへ帰還させていただきたい。ただ、もしよろしければ、ティモレオンは助言者としてヒケタスと同盟を結んでほしい」とティモレオンに伝えた。ティモレオンはこれに同意せず、密かに軍船に乗って出発すると、タウロメニオンに上陸し、そこで歓待を受けた。また、タウロメニオンの支配者から援助を受け、タウロメニオン市民軍の援軍を得ることが出来た。
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シチリア島上陸
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「ラフォーレイ (駆逐艦・2代)」の記事における「シチリア島上陸」の解説
6月にラフォーレイはパンテッレリーア島への上陸作戦であるコークスクリュー作戦に参加し、敵陣地への砲撃に従事した。続いてアレキサンドリアへ向かい、ハスキー作戦でシチリア島に上陸する部隊を乗せた船団の護衛を行った。7月9日の上陸で支援砲撃任務に従事した後、8月15日にハロルド・アレグザンダー大将とアーサー・カニンガム(英語版)中将、バートラム・ラムゼー中将がラフォーレイに乗艦し、アウグスタへ運んだ。7月を通してラフォーレイは艦砲射撃任務と対潜哨戒任務に従事した。 7月23日にニューファンドランドが雷撃された後、ラフォーレイはエクリプス(英語版)と共にイタリアの潜水艦アシアンギ(英語版)の捜索活動に加わる。アシアンギは2本の魚雷をラフォーレイに発射したが両方とも外れ、ラフォーレイとエクリプスは反応があった付近に5度の爆雷攻撃を加えた。アスアンギは浮上を余儀なくされ、すぐにラフォーレイからの激しい砲撃を浴びて撃沈された。1名の生存者が救助され、沈めた潜水艦がニューファンドランドへ4本の魚雷を放った艦であると確かめられた。
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