シチリア島の統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:22 UTC 版)
「ルッジェーロ1世 (シチリア伯)」の記事における「シチリア島の統治」の解説
政治的に優位な立場にあったルッジェーロ伯は、シチリア島内の教会の支配者として君臨した。シチリア島をギリシャ人やムスリム人から奪還したルッジェーロを良く思っていた教皇は、1098年にルッジェーロと彼の相続人をシチリア島におけるローマ教皇の大使に任じた。ルッジェーロはシラクサやAgrigentoなどに新たなラテン教会の司教座を設立し、司教を個人的に任命すると同時に、パレルモの大主教座を司教座に変更した。これらの司教やその他の聖職者の中で、フランス人は少数派であり、ノルマン人はさらに少なかった。またルッジェーロは、ムスリムやギリシャ人に対して宗教的に寛容な政策をとり、Val Demone 地域ではギリシャ正教の修道院の建設を支援するほどであった。これらの都市では、シチリアに降伏することを条件に、ムスリムたちはモスクを再建したり、カーディーを再建したり、自由に交易したりする権利を有していた。しかし王国内の地方部に於いては、ムスリムたちは農奴と化していた。ルッジェーロは多くのムスリムを歩兵として軍隊に雇っていたことも知られている。当時のカンタベリー大司教であるアンセルムスによれば、1098年カプアを包囲していたルッジェーロの軍営に’’数えきれないほどのムスリム兵の茶色のテントが設置されていた’’という。とはいうものの、ルッジェーロのシチリア島征服後、多数のイタリア人やロンバルド人が島に流入したためにシチリアではラテン文化が広く行き渡り、シチリア征服が地中海におけるムスリム勢力やムスリム文化の後退に徐々につながったことは確かである[要出典]。
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