シチリア島及びイタリア戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/28 13:48 UTC 版)
「戦車駆逐大隊 (アメリカ軍)」の記事における「シチリア島及びイタリア戦線」の解説
戦車駆逐大隊にとって2番目の戦場となったのは1943年6月のシチリア島上陸、9月のイタリア本土上陸に始まるイタリア戦線であった。枢軸軍の機甲部隊は依然健在であったにもかかわらず、戦車駆逐大隊とそれら戦車部隊との間で大規模な戦闘が行われることはほとんどなかった。その一因としてこの地域の起伏に富んだ険しい地形が挙げられるが、同じく枢軸軍の内部で保守的・受動的な性質が表れはじめたことも原因である。したがって戦車駆逐大隊は対戦車任務以外のさまざまな任務に用いられており、最も一般的な例は局地的な火力支援であった。 1944年の終わりごろに出された戦車駆逐大隊の運用に関する報告書では、戦車駆逐大隊が機甲部隊の任務を補完するような役割を担うことを期待されていたことが伺える。 攻撃の計画段階において、歩兵部隊の指揮官はほとんど例外なくきちんと分別を持って戦車駆逐車両による支援を要請したり、あるいは期待したりする。ところがいざ攻撃が始まるとほとんど例外を含んでいなかったはずの既存の攻撃計画は破棄されて、駆逐車両はあたかも戦車のように歩兵部隊の前面に出るように命じられた。 機甲部隊と共同して任務を行う際は戦車駆逐中隊もしくは小隊が戦車大隊もしくは中隊の下に組み込まれ、戦車部隊の支援を行うことが一般的であった。防御任務においては戦車及び戦車駆逐車両は共に戦線後方に待機し、敵の機甲部隊の激しい攻撃を受けている友軍歩兵部隊の支援に差し向けられた。 イタリア戦線を通じて得られた戦訓として、牽引砲部隊への改編は当初考えられていたほどの利益をもたらさないと判明したことが挙げられる。戦車駆逐車両の機動力及び防護力は牽引砲の低い視認性に勝っていたのである。アンツィオの戦いにおいて敵地深くまで進出しすぎたイギリス軍の対戦車砲部隊は移動が難しかったために簡単に撃破されてしまったが、これは自走砲部隊が後退して戦闘を継続できたこととは対照的であった。 イタリア戦線で主に用いられた戦車駆逐車両はM10 GMCである。M10の搭載砲はV号戦車パンターやVI号戦車といった戦車の装甲にこそ威力不足であったが、その他多くの車両に対しては十分な威力を有していた。M18 GMCは1944年夏に運用が開始されたが、イタリア戦線では大きな成功を収めることはなかった。M18が持つ高い機動力をイタリアの地形で生かすことは難しかったからである。
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