空挺作戦に対する評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:00 UTC 版)
「クレタ島の戦い」の記事における「空挺作戦に対する評価」の解説
この戦いで両軍が導き出した結論は異なっていた。連合国軍は、ドイツ軍の史上初の大規模な空挺作戦が鮮やかに成功した印象を受け、空挺部隊を研究育成し、後のシチリア島上陸作戦、ノルマンディー上陸作戦、マーケット・ガーデン作戦、ルール降下作戦などで多用・活用されることとなった。チャーチルはクレタ戦がまだ続いている5月27日、当時500人だったイギリス空挺部隊を5000人へ増強することを命令。アメリカ陸軍も1941年にフォート・ベニングで空挺部隊を創設した。 一方、ヒトラーはドイツ軍の多すぎる犠牲に衝撃を受け、再び大規模な空挺作戦を実施することはなかった。この理由について、元英国軍のジェイムズ・ルーカス、および複数の元ドイツ降下猟兵によると、実際は大規模な空挺部隊を運ぶ輸送機が無かったことが理由と語られている。その後、ドイツのパラシュート部隊は小規模な運用が西部を中心に行われたが、実質、特殊部隊や歩兵エリート部隊として扱われるようになった。空挺降下はしなくても、その精強さはモンテ・カッシーノの戦いなどで発揮され、「緑の悪魔」と恐れられた。 また、ドイツ空軍はこの作戦に飛行学校訓練部隊用のJu 52を投入して多数を失い、パイロットの育成に影響が出始めた。 他国同様に地上に着くまでほぼ丸腰が基本だった空挺兵のために、汎用機関銃MG34と同じ強力な8mmマウザー弾を連射でき、かつ精密射撃も可能で、さらに突撃銃StG44より軽く、主力小銃Kar98kより短く、白兵戦に耐える強度を持つFG42(42年式降下猟兵小銃)が開発された。 ドイツ軍、連合国軍双方、空挺部隊の戦術・携行兵器の運用、研究に関する転換点となった戦闘でもあった。
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