空挺特攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)
生還が極めて困難なエアボーン方式のコマンド作戦が行われた例があり、特別攻撃隊として評価されることがある。いずれも敵飛行場に航空機を用いて強行着陸し、地上部隊を突入させるものであった。最初の実行例は、レイテ島の戦いで高砂義勇兵によって編成された「薫空挺隊」を輸送機で強行着陸させようとした「義号作戦」である。同じレイテ戦では、正規空挺部隊である挺進部隊の大規模空挺作戦の「テ号作戦」でも、一部が海岸地帯の生還困難な飛行場へ強行着陸を試みている。 沖縄戦でも一時的に飛行場を制圧して対艦特攻を間接支援する目的で、挺進連隊の一部が「義烈空挺隊」として強行着陸を行っており、これも「義号作戦」と呼称している。沖縄戦中の1945年5月24日に12機の九七式重爆撃機に分乗した136名の義烈空挺隊が沖縄の読谷と嘉手納の飛行場に攻撃を謀ったが、激しい対空射撃で強行着陸できたのは読谷飛行場の1機のみであった。しかし搭乗していたわずか12名の空挺隊員はF4U戦闘機3機、C-47輸送機4機、PB4Y-2爆撃機2機の合計9機を撃破炎上させ、PB4Y-2爆撃機2機、F6F戦闘機3機、F4U戦闘機22機、C-47輸送機2機の合計29機が損傷させて、約70,000ガロンの航空燃料を焼き払い、海兵隊に22名の死傷者を出させたのちに全滅した。同飛行場は大きく混乱し半日使用不能に陥っている。このほか、マリアナ諸島の飛行場および原爆貯蔵施設を標的とした剣号作戦が計画されたが、終戦で実行に至らなかった。
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