岩川基地とは? わかりやすく解説

岩川基地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 23:23 UTC 版)

美濃部正」の記事における「岩川基地」の解説

芙蓉部隊所属していた鹿屋基地は、海軍航空隊特攻最大基地であったため、特攻苦しめられアメリカ軍から目の敵にされ、B-29日本の都市工業地帯への絨毯爆撃から、 鹿屋基地などの九州航空基地攻撃転用されるなど、激し攻撃を受けるようになったので、美濃部たまりかねて5月中旬芙蓉部隊鹿屋から約27kmに離れた岩川海軍航空基地移動させている。この岩川移動については、美濃部は自ら車で相応し基地探して回った際に見つけて、美濃部主導した主張しているが、当時の記録では、九州襲ったアメリカ軍機動部隊有効な反撃ができなかったのを重く見た第5航空艦隊司令部5月15日夜間戦闘機隊の配備を「岩川又は志布志」と定めており、その命令により移動したことになっている。 岩川基地は、海軍1944年5月飛行場建設計画、その発表なされた5月7日に、地権者に対して40日あまりで立ち退きなければ住居焼き払うといった海軍恫喝により、総面積530haの土地強制収用され、海軍技術士官指揮地元土木業者の施工により構築進められた。近隣福山小学校生徒による勤労奉仕などの地元住民献身的な協力もあり、1945年4月中旬には1,300m滑走路完成して発着陸も可能となっていた。ちょうどその頃日本軍全国各地特攻機出撃基地として、アメリカ軍から発見されないような「秘匿飛行場」を造成する計画立てていた。1945年4月から整備着手し全国40カ所に造成する計画であったが、岩川基地もそのうちのひとつに選ばれて、佐世保鎮守府の第3214設営隊に対して鎮守府長官より4月25日発令187命令岩川海軍基地特攻秘匿基地造成協力セシムベシ」が命じられ、第3214設営隊岩川進出している。 その後、岩川基地は特攻用の「秘匿飛行場ではなく、第5航空艦隊によって夜間戦闘機部隊基地決められ、第5航空艦隊より美濃部に岩川基地への移動命じられた。岩川基地は芙蓉部隊が来るまでに、地元業者尽力及び地元住民の協力により、分厚い竹筋コンクリート覆われ地下発電所通信室食料貯蔵庫退避壕などの数多く地下トンネル近隣流れ菱田川から取水浄化している上水道施設などの施設整った飛行場となっており、直ぐに使用できる状況であったが、兵舎のみが未施工であったので、防風林囲まれ民家跡に木造急造している。 岩川基地とすることとなった美濃部は、事前工事によってほぼ完成していた飛行場を、ダバオ藤枝で、自分指揮する部隊航空機多数地上撃破された反省活かして徹底したカモフラージュをすることとしている。移動式家屋4棟樹木10数本と牛10頭と大量枝葉準備し航空機離着陸したあとは、滑走路上に散布し家屋樹木や牛を設置して牧場見せかけている。散布する樹木は、常に青々としたものを準備するため、農民2万円(2017年当時で3,000万円相当額)を支払って草刈り枝葉収集依頼していた。「岩川夜戦隊のみにて使用し周囲山林恵まれ居る故に好都合なり」との評価もあったが、美濃部工夫熱意よるもの主張している。このカモフラージュ美濃部独創と言われることもあるが、陸軍フィリピンの戦いで、第4航空軍指揮下のマリキナ飛行場において、飛行場守備兵雑草刈り集めて滑走路一面敷きつめるという擬装を岩川基地に先駆けて行っていた。マリキナ飛行場場合は岩川基地よりも手が込んでいて、雑草が4~5時間変色してしまうため、毎日新し雑草刈り集めていた。そのおかげでマリキナ飛行場は、いつも青々とした野原のように見えていたという。また、他の「秘匿飛行場」でも同様な滑走路秘匿カモフラージュ行われており、岩手県奥州市水沢造成された陸軍航空隊の「秘匿飛行場」である小山飛行場においても、滑走路秘匿するため、移動式家屋鉢植えなどが滑走路置かれるなど、岩川同じようカモフラージュが行われており、当時日本軍では広く行われていたようである。 基地完璧に偽装できたと考えていた美濃部は、沖縄から出撃し岩川基地周辺上空通過して宮崎鹿児島などの南九州好き放題に空爆していたB-25ミッチェルなどのアメリカ軍機に対して基地露見恐れて迎撃禁止していた。周辺の住民は「戦闘機隊なのになぜ上がらないのか」「逃げ隠れしているのか」と不満を抱いており、芙蓉部隊搭乗員も、何の妨害受けず我が物顔基地上空通過していく敵機見て口惜しさを募らせていたが、美濃部迎撃許可することはなかった。美濃部主導のこの偽装によりアメリカ軍の目を欺き通し終戦まで岩川基地が発見されることはなかったと言われることもあるが、少なくともアメリカ軍は、1945年3月建設中符号u/c under constructionの略)の岩川基地を空撮して詳細な位置把握し目標番号2511番とナンバリングまでしており、終戦時点では完成し稼働している飛行場符号a/f airfieldの略)として把握していた。これは、他の「秘匿飛行場」も同じよう状況で、日本軍苦心して造成しカモフラージュした秘匿飛行場」の多くは、岩川基地と同様にアメリカ軍からは丸見えであったことが、戦後の研究判明している。しかし、結果的に岩川基地は終戦まで一回爆撃受けず南九州基地では唯一地上での損害がなかったといわれる芙蓉部隊岩川移動していた同じ時期に、菊水七号作戦発令され、第5航空艦隊陸軍の第6航空軍は、5月24日深夜から沖縄戦開始以降最大規模沖縄敵飛行場攻撃をかけることとし多数爆撃機飛行場への空挺特攻部隊義烈空挺隊投入したが、今まで飛行場攻撃主要任務としてき芙蓉部隊は、24日は岩川基地に移動完了した日であり、美濃部移動疲労した搭乗員気遣って、この日は作戦会議開催等の名目出撃回避している。美濃部搭乗員らが今でいうエコノミークラス症候群ならないよう按摩の手配をし、夜に美濃部提案蛍狩りを肴に酒席設けるなどの気遣いもあった。出撃休息日となった芙蓉部隊に対して陸海軍爆撃機義烈航空隊は、アメリカ軍激烈な迎撃多大な損害を被ることとなったが、読谷飛行場航空機38機を完全撃破もしくは大破20名の死傷者ガソリン70,000ガロン焼失半日飛行場使用不能嘉手納飛行場一時使用不能伊江島飛行場60名の死傷者出させるなど、沖縄戦での日本軍による飛行場攻撃最大戦果をあげている。 また、岩川には、練習機白菊編成され西条海軍航空隊特攻隊進出してきた。岩川基地の庶務管轄九州海軍航空隊であったが、特攻西条に対して芙蓉部隊は、支給される食材の質に大きな差をつけられ副食昆布・ひじき・あらめといった海藻ばかりになっていた。美濃部らが藤枝にいた頃、基地主計課の竹田という下士官が、物資不足のなかで基地ありったけの砂糖集めて汁粉作ったが、藤枝食糧事情をよく認識していなかった美濃部は、出され汁粉砂糖不足で甘くなかったので「こんなものが飲めるか」と怒鳴って突き返し竹田を涙ぐませたことを悔いており、美濃部食事内容格差原因芙蓉部隊が「特攻隊ではないから」から差別されていると考えて管轄九州海軍航空隊飛び越えて直に第5航空艦隊司令部食事内容改善要求行っている。第5航空艦隊美濃部要求を受けると佐世保鎮守府調査依頼鎮守府調査団速やかに岩川調査に来たが、手違いで岩川基地を整備していた海軍設営隊の3214施設隊と同じ食糧基準となっていたことが判明したため、調査後ほどなく潜水艦乗組員用の最高級食材満載した貨物列車岩川駅到着した。そのなかにはコーヒー紅茶といった嗜好品や、当時日本では贅沢品であったコンビーフ大量に入っていた。また、官給品食糧の他にも自給自足標榜していた芙蓉部隊には、周囲農家から大量鶏卵農産品差し入れがあり、牛が一頭差し入れられときにはみんなの食事ステーキ出たフィリピン戦っていた時は、豪勢な食事をとる司令官クラス嫌悪感抱き唯一粗食甘んじていた有馬敬っていた美濃部であったが、芙蓉部隊食事は他の部隊はおろか藤枝訓練していた同じ芙蓉部隊隊員よりも豪勢なものとなり、4月5日事故火傷負って藤枝療養していた坪井晴隆曹長は、岩川復帰する食事の差に驚き「えらいごちそうが出るな」と同僚話した回想している。 芙蓉部隊活躍見ていた第五航空艦隊司令長官宇垣は、岩川基地を視察した1945年昭和20年7月23日(廿三日)の『戦藻録』に、美濃部について「芙蓉部隊長は水上機出身なるがよく統率して今日迄の活躍目覚ましものなり」と記述している。第五航空艦隊司令部持病マラリア定期的に高熱寝込んでいた美濃部指揮能力懸念しており、人事局美濃部交代要員望み座光寺一好少佐第九〇一海軍航空隊から芙蓉部隊異動してきたということがあったが、美濃部芙蓉部隊指揮官更迭されることを拒否司令長官である宇垣引き続き芙蓉部隊指揮をとることを直談判し宇垣美濃部からの要請受け入れて「岩川基地指揮官芙蓉部隊岩川派遣隊指揮官指定す」(天航空部隊命令45号)という、一部関係者にしか理解不能辞令発令司令部方針反して引き続き美濃部岩川芙蓉部隊指揮官であることを保障し座光寺美濃部副官格として藤枝異動させた。岩川基地の視察のさいに宇垣は「この辺米軍上陸矢面となろう。この地は君に委ねる多く部下抱えて大変だろうが、よろしく頼む。もう再び会うことはないかもしれんなぁ」と美濃部親しげ語りかけている。美濃部宇垣思いやりで胸が熱くなり「ご心配をおかけします未熟者ですが精いっぱいやります」と答えるのが精一杯であった美濃部は、宇垣を「芙蓉部隊作戦理解応援者」のひとりとして感謝している。宇垣もこの視察はよほど満足したようで、かろうじて空の明るさが残る19時まで岩川滞在し暗くなる前にようやく鹿屋への帰路ついている

※この「岩川基地」の解説は、「美濃部正」の解説の一部です。
「岩川基地」を含む「美濃部正」の記事については、「美濃部正」の概要を参照ください。

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