西条海軍航空隊とは? わかりやすく解説

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西条海軍航空隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 01:54 UTC 版)

詫間海軍航空隊」の記事における「西条海軍航空隊」の解説

1944年3月15日 詫間海軍航空隊西条分遣隊として開隊。分遣隊長には、愛媛航空機乗員養成所長の室井留雄中佐(兵 39応召)が兼任した飛行長兼飛行隊長野村親正少佐任務陸上練習機による操縦専修教育 1944年5月25日三重空より特乙4期生入隊(第38飛行練習生) 1944年9月20日土浦空より甲飛132次79名が入隊(飛練41期) 1944年12月28日特乙4期生練習機教程終業 1945年1月20日分遣隊長に、大阪警備府海軍大佐(兵37応召)小橋義亮発令 1945年1月25日三重奈良分遣隊より甲飛132次生140名が入隊(飛練41期) 1945年3月1日西条海軍航空隊に改編 1945年3月19日アメリカ軍艦載機攻撃を受ける。 1945年4月教員、特乙4期生特別攻撃隊2隊を編成1945年6月20日司令に、佐世保鎮守府参謀海軍大佐土井美二(兵50)発令 1945年6月特別攻撃隊大分県宇佐基地(指揮官野村少佐 50機)と鹿児島県岩川基地(指揮官今井隆久大50機)へ進出愛知県第三岡崎航空隊より、中練特攻隊西条基地進出1945年8月8日西条航空隊(甲航空隊 司令土井大佐)と内海航空隊西条基地隊(乙航空隊 指揮官柏屋特務少佐)に空地分離が行われる。 使用されていた格納庫の1棟が戦後日本国有鉄道譲渡の上多度津工場移築され、現在も会食所として使用されており、2012年には国の登録有形文化財に登録されている。

※この「西条海軍航空隊」の解説は、「詫間海軍航空隊」の解説の一部です。
「西条海軍航空隊」を含む「詫間海軍航空隊」の記事については、「詫間海軍航空隊」の概要を参照ください。

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