西条海軍航空隊
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1944年3月15日 詫間海軍航空隊西条分遣隊として開隊。分遣隊長には、愛媛航空機乗員養成所長の室井留雄中佐(兵 39応召)が兼任した。飛行長兼飛行隊長は野村親正少佐。任務は陸上練習機による操縦専修生教育 1944年5月25日三重空より特乙4期生入隊(第38期飛行練習生) 1944年9月20日土浦空より甲飛13期2次生79名が入隊(飛練41期) 1944年12月28日特乙4期生、練習機教程を終業 1945年1月20日分遣隊長に、大阪警備府附海軍大佐(兵37応召)小橋義亮発令 1945年1月25日三重空奈良分遣隊より甲飛13期2次生140名が入隊(飛練41期) 1945年3月1日西条海軍航空隊に改編 1945年3月19日アメリカ軍艦載機の攻撃を受ける。 1945年4月教員、特乙4期生で特別攻撃隊2隊を編成。 1945年6月20日司令に、佐世保鎮守府参謀海軍大佐土井美二(兵50)発令 1945年6月特別攻撃隊、大分県宇佐基地(指揮官・野村少佐 50機)と鹿児島県岩川基地(指揮官・今井隆久大尉 50機)へ進出。愛知県の第三岡崎航空隊より、中練特攻隊が西条基地に進出。 1945年8月8日西条航空隊(甲航空隊 司令・土井大佐)と内海航空隊西条基地隊(乙航空隊 指揮官・柏屋特務少佐)に空地分離が行われる。 使用されていた格納庫の1棟が戦後、日本国有鉄道に譲渡の上多度津工場に移築され、現在も会食所として使用されており、2012年には国の登録有形文化財に登録されている。
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