西条祭りと西条市民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 07:34 UTC 版)
毎年、夏休みの後半辺りから子供等の練習する鐘や太鼓の音があちこちで聞かれるようになり、根っからの祭り好きな地元っ子はこの時期になると鐘・太鼓の耳鳴りがするとすら言われている。また故郷を離れ遠方に移り住んだ者に至っては、冠婚葬祭・盆や正月にすら帰郷しない者でも、年一度の祭りにだけは万難を排してかならず帰郷する。この土地柄ゆえ「一年は祭りに始まり、祭りに終わる」という古くからの気質が地元人の中に定着しており、これを最も象徴するものに 暦が10月から始まる「西条祭りカレンダー」があり 主に市内で毎年販売されている。 当然、祭り当日は学校、会社、商店、工場、一部官公庁までもが地方祭休日となる所がほとんどで、開いているのはコンビニと救急消防医療関係程度で飲食店の多くも閉まってしまう。そのため観光客用に「祭り当日でも営業している商店マップ」が配布されるほどである。 西条市民には「祭りがやりたいから西条に残った」、と公言する者も多く、冗談のような話だが地方祭休日があるかどうかで就職を決めたり、他所に出ていても祭りがやりたいがために仕事を捨てて(辞めて)西条に帰ってくる者すら多く存在する。 また、地元人の間では古くから現在に至るまで 祭りを神事として捉える意識が特に強く、近年の新居浜太鼓祭りにみられるようなイベント化・観光化・祭りの土日開催への移行に対する嫌悪感・抵抗感が根強い。 昭和50年代(1975年~)以降 全国各地の祭りや行事にも西条のだんじりが参加する機会が多くなったが、特に伊勢神宮への奉納には格別な意識を持っているところに「神事としての祭り」を尊ぶ祭り人としての気質が如実に現れている(伊勢奉納のきっかけは、伊予のお伊勢さんと称される伊曾乃神社と西条祭りで唄われる伊勢音頭である。) 伊勢神宮や伊勢市へは現在までに遷宮や御鎮座二千年の奉賛、宇治橋の架け替えなどで、小規模納なものではだんじり1台から、大規模になるとだんじり、御輿屋台、太鼓台合わせて30台以上で、回数にして10度以上に渡って遠路奉納しているが、平成26年(2014年)4月12日には式年遷宮を記念して過去最大となる36台のだんじりと1台の太鼓台とで2100人の舁き夫が三重県伊勢を訪れ奉納した。 このような伊勢神宮への奉納はもちろん、例年の祭礼においても、祭礼の運営費・屋台の維持管理費用などに行政の援助は一切受けず、すべてお花や自治会費をはじめとする市民の寄付で賄っているのも、西条祭りを愛する市民の誇りとなっている。 こういった各種事柄や祭り装束もあって西条市では「蝋燭の一人当たり使用量」が群を抜いて高かったり(市内全域で百数十台以上あるだんじり1台あたりほぼ100本使用され、1度の祭りで10回近く交換がある)、「地下足袋のコハゼを入れるのが早く上手」であったり、小さい子供からご老人までが伊勢音頭を始めとする祭り唄を諳んじたり、和太鼓が得意であったりする。
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