祭り装束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 07:34 UTC 版)
戦前までは舁き夫に特に決まった服装はなかったようだ。ただ屋台総代においては江戸期より紋付着用と小脇差帯刀が特に許されていた。 戦後少しして法被の着用、ネルの腰巻、ソフト帽子、地下足袋、三つ揃えと称されるそれぞれ毛糸の股引、腹巻、襦袢が取り入れられるようになった。法被も当初は市販のものに町内名を入れたありきたりのものであったが、福武天皇が泰山屋台を購入した際に刺繍入りの法被を着用し、鮮やかな黒塗りとなった泰山屋台と相まってその後から刺繍入り法被が流行した。毛糸の三つ揃えも五色のラメが入ったきらびやかなスタイルになってきた。 更に法被のデザイン自体も粋を意識した洗練かつ芸術的されたものが出現し、各町内が屋台のみならず法被も競うようになった。地下足袋も刺繍入りのものが値段が高くても大半となった。 そんな中で温暖化もあって従来の三つ揃いでは暑いという事もあり、昭和晩期からダボシャツを使用する町内が出てきた。中には法被を着用せずダボのみという町内も一部に存在するようになった。更にはTシャツとダボズボンという所もある。一方で刺繍入りの法被は暑くてしかも重たいこともあり、減ってきている。それに合わせてなのか刺繍入りの地下足袋もずいぶん少なくなった。また他の地方の祭礼での地下足袋は白が多いが、西条ではほぼ黒である。 逆にそういった流行り廃りに背を向け、当初からの法被を頑なに伝統として守ってきている町内がまた多いのも西条市民の祭り気質といえよう。
※この「祭り装束」の解説は、「西条祭り」の解説の一部です。
「祭り装束」を含む「西条祭り」の記事については、「西条祭り」の概要を参照ください。
- 祭り装束のページへのリンク