三嶋神社祭禮
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主祭神:大山祇大神(おほやまつみのおほかみ):雷大神(いかづみのおほかみ) 例祭日:10月16・17日 神 紋:折敷に縮三文字(おしきにちぢみみもじ)「折敷」とは、周囲に折縁(おりぶち)をつけた角盆。隅切り盆。食器を載せる食台。 鎮座地:西条市小松町新屋敷甲2234 奉納屋台:12台 壱番・岡村(素木2階)、 弐番・西町西組(素木2階)、 参番・西町西組(素木2階)、 〔四番・欠番〕、 五番・東常盤(黒塗り3階)、 六番・川原谷(素木2階)、 七番・新宮藤木(素木3階) 、八番・中常盤(素木3階)、 九番・新屋敷(素木3階)、 拾番・宝来(素木2階)、 拾壱番・中町(素木3階)、 拾弐番・旧藩(素木2階)、 拾参番・北川(素木3階) 別に、旧藩子供屋台(白木2階) 「屋台番号」に関しては、衰退以前は早朝の「宮出し」で神社に屋台がたどり着いた順に与えられていた。しかし1982年東常盤の新規参入の際、今後は岡村、西町西組、西町東組の既存3屋台の後に通し番号を付けてゆくことになり、また、以前の早い者勝ちのようでは、将来喧嘩の種にもなりかねないということも配慮して固定された。 「三島神社」は、総本社を愛媛県大三島の大山祇神社(大三島神社)と、静岡県三島市の三嶋大社に持ち、併せると全国に400社余り存在する。東予地方では、四国中央市三島の国道11号沿いにもあり、ここでは太鼓台が奉納されている。この西条市でも7社あるが、そのすべてが市内西部(東予市、丹原町、小松町)に点在する。ただし、「嶋」の字を用いているのは当神社だけで、他はすべてが「島」の字である。更に全国的に広げて見ても「嶋」の字は少数派である。当神社は、元は町内新宮地区北部に鎮座されていたが、たびたび中山川の氾濫に遭遇するうち、幕末になってから当地船山の頂きに移転された。祭礼時の幟には井出郷総鎮守の字が見受けられる。 「大山祇神社」については大三島は「大御(み)島」と言い、神の島とされていた。本来は島の名前が社名であって、古くから「大御嶋神社」を名乗っていたが、明治時代に入り現在の社名に改名された。全国に1万社の余りの分社を持つ。今は国宝の島とも呼ばれ全国の甲冑の4割と他の武具も数多くあり、名武将の奉納品が閲覧できる。 「神紋」とは、地域の氏子衆が氏神を地域安泰の守護神として崇め、象徴として捉えられている。例祭では奉納屋台や祭具には各所に使用されており、屋台の「水引幕」の側面には、1ないし2を刺繍もしくは染め抜きで施し掲げる他、「台輪幕」にも絵柄に添えて染め抜かれていたり、「鬼板」や「唐破風」(からはふ)や屋台下部正面の「袖障子」に埋め込まれている屋台も有り、更に法被(はっぴ)や「ダボシャツ」やジャンパー、近頃は祭り時期の気温上昇に伴い、半袖Tシャツをも含めた祭り装束全般にも地区名の上に付けられている。 地区内に氏神を有する「新屋敷屋台」と「北川屋台」は、それぞれの氏神である「一之宮神社」と「柳神社」には奉納されるが、更に三嶋神社の例祭においても、他の屋台と共に運行されている。
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