訓練部隊
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1943年(昭和18年)1月15日、日本海軍は第三艦隊の隷下に第五十航空戦隊を新編した。五十航戦隊の任務は、母艦搭乗員の練成を主目的とし、発着艦・雷爆撃訓練、横須賀を初めとする基地航空隊、内海へ帰還した空母の艦載機隊、内地留守部隊、新造艦、潜水艦学校等が行う各種訓練への協力、本土近海に出没し始めた米潜水艦への対処・哨戒と多岐に渡った。最初の所属部隊(艦)は、鹿屋海軍航空隊、築城海軍航空隊のほか、空母「鳳翔」と「龍鳳」、「夕風」、標的艦「摂津」であった。 1944年(昭和19年)1月1日、日本海軍は第五十航空戦隊を解隊する。「鳳翔」や「夕風」は、第十二航空艦隊隷下の第五十一航空戦隊に編入された。2月2日、「鳳翔」や「夕風」、「摂津」は連合艦隊附属となった。
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