訓育班
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修業期間は約3年間で第1学年、第2学年、第3学年と進み、同期の生徒達は50名定員の訓育班に属し、さらにこの訓育班は1クラス25名定員の学班にわかれる。1938年時点では生徒の寝室は10名定員であり、これには後述の「模範生徒」が1名つき起居を共にする。各訓育班には自習室が設けられ、各生徒には机があたえられる。従来は召募人数は1期ごとに50名が定員であったが、満洲事変以降は順次増員されていき、1940年(昭和15年)入校の第44期生では150名となっている。そのため当時の訓育班は「第一訓育班」・「第二訓育班」などとわけられる。1945年(昭和20年)の第二次世界大戦敗戦時の全国各6校の陸幼には、第47期生までは3個訓育班であったものが、第48期・第49期生で1個訓育班に50-60名の生徒が在籍し多い場合では6個訓育班(1期約300名)まで編成されていた。 陸幼生徒は陸士生徒や一般の将兵同様に、休日として日曜と祭日には外出が認められていたほか、長期休暇として「夏休み」と「冬休み」が与えられていた。また大型行事として夏には遊泳演習、秋には運動会と修学旅行があった。酒保も週の中一日と日曜に開かれた。
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