二代元山海軍航空隊
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「元山海軍航空隊」の記事における「二代元山海軍航空隊」の解説
十五空から始まる元山空の系譜とはまったく異なる戦闘機訓練部隊として誕生した。各種航空機の訓練部隊であった大村海軍航空隊の増員にともない、空白となった元山に設置した分遣隊をルーツとする。当初は純粋な慣熟訓練部隊であったが、沖縄戦に向けた特攻作戦の強化にともない、教官以下および訓練生も特攻作戦実施部隊に取り込まれた。 昭和19年(1944年) 8月15日 大村海軍航空隊元山分遣隊を独立し新編。分遣隊時代より養成中の予科練甲飛13期の養成を継続。 昭和20年(1945年) 2月頃 実戦配備への準備開始。雷電調達、小隊編成など。 3月1日 新編の第十航空艦隊に編入。 3月26日 「天一号作戦」発令。第三航空艦隊指揮下に入る。練習用零式艦上戦闘機・紫電など全機体を鹿屋飛行場に空輸。要員は4月2日出発・7日集合。 4月3日 「神風特別攻撃隊・七生隊」を結成。 4月6日 「菊水一号作戦」発動、七生隊12・防空隊4出撃。七生隊全滅。 4月12日 「菊水二号作戦」発動、七生隊19出撃。2機帰還。 4月16日 「菊水三号作戦」発動、七生隊15出撃。全滅。 4月25日 七生隊を第七二一海軍航空隊に編入。 4月29日 「菊水四号作戦」発動。七生隊と昭和隊(谷田部海軍航空隊)の連合6出撃。2機帰還。 5月11日 「菊水六号作戦」発動。14日まで七生隊4出撃、全滅。14日の突入をもって七生隊の特攻終了。以後防空・直掩に従事。 鹿屋駐留隊は相次ぐ戦闘で消耗していた。元山飛行場では急降下爆撃をはじめ、本土決戦に向けた特攻訓練が継続していたが、実戦投入されることなく終戦を迎えた。
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