菊水二号作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:13 UTC 版)
「菊水二号作戦」・「第二次航空総攻撃」(4月12日 - 15日) 日本軍は続けてアメリカ軍へ打撃を与えるべく9日に「菊水二号作戦」と「第二次航空総攻撃」を発令したが、天候悪化により決行は先延ばしとなっていた。アメリカ軍は4月6日に捕虜とした日本軍搭乗員から、11日に菊水一号作戦と同等の航空戦力で攻撃が開始されるという情報を得ており、ミッチャーは、空母に搭載された艦載爆撃機の誘爆を防止するため航空燃料を抜き取り、艦載戦闘機は地上への攻撃任務を取りやめ特攻機迎撃のために待機させ、日本軍の攻撃に備えていた。 12日、作戦の決行が下令され、海軍の作戦機354機、陸軍の作戦機124機、うち特攻機として海軍103機、陸軍72機が出撃した。デヨの第54任務部隊が菊水一号作戦に続いて特攻機の目標となった。デヨが主力艦による地上への艦砲射撃を切り上げさせ、艦艇を集めたことにより、戦艦10隻、巡洋艦7隻と主力艦はかなりの数を揃えられたが、主力艦の外周を早期警戒するはずの駆逐艦は菊水一号作戦での損失で減少しており、わずか12隻しか集めることができず、各駆逐艦の対応可能機数を遥かに上回る機数が攻撃してきた。レーダーピケットラインについたカッシン・ヤングとパーディ (駆逐艦)(英語版) と上陸支援艇の補助艦艇は30機以上の特攻機に攻撃され、LCS-36が撃沈され、カッシン・ヤングとパーディもたちまち大破してしまった。 主力艦隊中枢も特攻機の攻撃を受けた。デヨは「特攻機はすべて目標に到達しないうちに、命中弾をあたえて操縦不能にしなければならない。さもないと、我々が支払を余儀なくされる対価は、パイロット1人と航空機1機の価格の何倍にもなるだろう」と考え、特攻機のパイロットへの同情心は全くなく徹底した対空戦闘を指示したが、デヨの旗艦テネシーの護衛をしていたゼラース (駆逐艦)(英語版)の艦橋に特攻機が命中し大破すると、テネシーにも九九式艦上爆撃機が命中し、爆弾が甲板を貫通、艦内通路内で爆発し大火災を生じさせたため、23人の戦死者と176名の負傷者(内33名は重態)が生じた。 12日の出撃には「桜花」8機が参加していた。桜花は1945年3月21日の野中五郎少佐率いる第1回目の桜花部隊全滅の教訓により、敵の迎撃の目をくらますために、8機は散開して、別々の方向から目標に接近することとしている。三浦北太郎少尉が機長の一式陸上攻撃機から射出された土肥三郎中尉搭乗の桜花は、駆逐艦マナート・L・エベール に命中、同艦は真っ二つになるとわずか3分で海中に没し、桜花の威力を見せつけた。 詳細は「桜花 (航空機)#沖縄戦」および「第七二一海軍航空隊#戦歴」を参照 別のレーダーピケットポイントで警戒任務に当たっていたジェファーズ (掃海駆逐艦) (英語版)は50ヤード(約45m)離れた位置で爆発した桜花の衝撃で甚大な損傷を被り、修理のために後退した。またスタンリーは艦首に桜花が命中したが、駆逐艦の装甲が薄すぎたため、桜花はそのまま貫通し、海上で爆発した。それでもスタンリーは甚大な損傷を被り、ジェファーズと同様に修理のため後退した。 13日以降も小規模な出撃が行われ、戦艦ニューヨークなどに損傷を与えた。 この頃には沖縄本島のアメリカ軍飛行場から出撃してくるアメリカ軍戦闘機が特攻機の大きな障害となりつつあり、日本軍は空陸から飛行場への攻撃も強化した。4月12日、陸軍の独立重砲兵第百大隊第二中隊の八九式十五糎加農砲2門が、嘉手納飛行場を砲撃し大火柱を生じさせ、陸軍飛行隊は、サイパン基地爆撃で武功賞を受賞した涌谷良治中尉や木村大八少尉の所属する飛行第110戦隊と飛行第60戦隊の四式重爆撃機8機を沖縄本島上のアメリカ軍飛行場の爆撃に出撃させた。歴戦の両戦隊は、太陽も上がった早朝に大型の重爆で果敢にも低空爆撃を行って、地上機4機炎上、1機爆砕、直径100m高さ300mの大爆発を含む爆発3か所、火災3か所の戦果を挙げた。一方海軍も、艦船攻撃で戦果を挙げることができなかった芙蓉部隊を夜間の飛行場攻撃に出撃させたが、歴戦の陸軍重爆隊に比べて敵飛行場攻撃に慣れない芙蓉部隊は散々な目にあい、夜間にも関わらず芙蓉部隊の接近は察知されていて、待ち構えていた夜間戦闘機に、芙蓉部隊機は飛行場を近づくことすらできず次々と撃墜され、出撃した11機中9機が未帰還となったが戦果はなかった。
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