二代谷田部海軍航空隊
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「谷田部海軍航空隊」の記事における「二代谷田部海軍航空隊」の解説
神ノ池飛行場は桜花と一式陸上攻撃機に占有されたうえ、多数の護衛戦闘機も用意されたため、神ノ池空は谷田部に移転せざるを得なくなった。一方で、慣熟訓練の支障となる初歩練を神町飛行場に押しやることで、練習施設を確保した。 昭和19年(1944年) 12月5日 - 神之池より戦闘機搭乗員訓練生が移転(定数戦闘機180機)。 昭和20年(1945年) 1月31日 - 甲飛12期の訓練完了。 2月10日 - 関東にB-29襲来。第二五二海軍航空隊・第三〇二海軍航空隊・陸軍第十飛行師団の迎撃に協力。 2月16日 - 関東に敵機動部隊襲来(ジャンボリー作戦)。翌日まで迎撃に協力、5機喪失。 3月1日 - 十航艦新編、隷下に入る。 3月26日 - 「天一号作戦」発令、「神風特別攻撃隊・昭和隊」と制空隊は九州進出準備開始。 4月2日 - 先遣隊九州着、本隊第一陣は8日着。 4月11日 - 本隊第二陣16機出撃、機体不調のため14機落伍。 4月12日 - 「菊水二号作戦」発動、防空隊26機出撃。空中戦で14機喪失。 4月14日 - 第一昭和隊12機出撃、全機喪失・突入なし。第二昭和隊8機、鹿屋飛行場に到着。 4月16日 - 「菊水三号作戦」発動。第二昭和隊出撃準備中、敵機襲来。6機地上撃破。 4月17日 - 3個昭和隊、大村海軍航空隊第三神剣隊・第七二一海軍航空隊第七建武隊に同行。4機喪失。 4月22日 - 「菊水四号作戦」発動。制空隊全力出撃。 4月23日 - 増援8機鹿屋着。 4月25日 - 残る昭和隊員は七二一空建武隊に編入。 5月5日 - 練成中の紫電18機と要員を筑波海軍航空隊に編入。以後、鹿屋派遣隊は九州防空、谷田部残留隊は練成に従事。 終戦後解隊 昭和14年から二種の航空隊が継続して使用してきた谷田部飛行場は、終戦とともに農地に転用されることとなった。しかし敷地の各所にコンクリート構造物が埋もれ、開墾には多くの支障があった。やがて高度経済成長とともに農地としての価値は下がり、跡地の大部分を農林水産省が占有し、農業生物資源研究所や農業工学研究所が設立された。なお、跡地の一部に建設された現筑波学園病院の病棟として、建物の一部が利用されていたが、1999年に解体され現在は存在しない。
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