菊水三号作戦
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「菊水三号作戦」・「第三次航空総攻撃」(4月16日 - 17日) 4月16日「菊水三号作戦」と「第三次航空総攻撃」が発令され、海軍は最大規模の出撃を敢行した。この日海軍は作戦機415機、陸軍は92機を投入。うち特攻機は海軍176機、陸軍52機であった。この頃には既に陸軍の特攻機は実用機が不足し、旧式の九七戦や練習機を投入し始めていた。 「九七式戦闘機#実戦」も参照 海軍の零戦52型1機が、フィリピン戦中の1944年11月25日に特攻により大破し、1945年2月中旬に修理を終えて艦隊に復帰したばかりの空母イントレピッドに命中した。零戦はほぼ垂直に命中したため、飛行甲板を貫通しハンガーデッキで火災を起こさせ、9名の戦死・行方不明者と21名の負傷者が出た。火災は3時間後に鎮火したが、損傷は深刻で修理のためにアメリカ本国に後退し、任務に復帰できたのは1945年8月の終戦直前になった。イントレピッドは沖縄戦直前の九州沖航空戦中に、撃墜した特攻機(アメリカ軍公式記録ではBettyこと一式陸上攻撃機)の破片や燃料で火災が発生し、艦載機2機が炎上するという被害も被っており、フィリピンでの2回を含めると合計4回特攻により被害を受けた艦になった。特攻被害修理のため乾ドックに入っている期間が長かったので、イントレピッドは "the Dry I"(ドライアイの語呂合わせ)や"Decrepit" (よぼよぼやガタガタという意味)というあだ名を付けられていた。 今回も、特攻機と一番激しく戦ったのはレーダーピケットラインの駆逐艦であり、駆逐艦プリングルが撃沈され、ブライアント(駆逐艦)(英語版)、ボワーズ(護衛駆逐艦)(英語版)、ハーディング(掃海駆逐艦) (英語版)も深刻な損傷を被った。ラッフェイ(駆逐艦)(英語版)は1隻で22機の特攻機と80分間に渡って戦い、特攻機8機に命中され9機を撃墜している(本艦戦闘記録による)。しかし、命中の殆どが艦尾に集中したため、戦死者31名、負傷72名という大きな人的損失を被りはしたが、致命的な損傷は受けずに沈没しなかった。菊水作戦中に特攻機はしばしば、甚大な損傷を負ったレーダーピケット艦にに攻撃を執拗に繰り返して無駄に戦力を消耗する失敗を犯している。 第5艦隊司令 レイモンド・スプルーアンス提督は高速空母部隊を北上させて、九州の特攻機基地の攻撃を命じた。第58任務部隊は4月15日と16日に艦載機により鹿児島の各飛行場を攻撃し、2日で55機以上の特攻機を撃破したと報告しているが、実際に破壊されたのは15日10機程度、16日は若干数に過ぎず、艦載機の爆撃により特攻の出撃が減衰することはなかった。スプルーアンスは、後にこの時の状況を振り返って「もし我が方の作戦計画で沖縄北方にある島の幾つかを占領し、ここにレーダーと戦闘機の指揮所を設けるようにしていたならば、沖縄の北方で警戒に当たっていた小型艦艇の多くが損傷を受け、あるいは撃沈されるようなことは免れえたであろうと思った。しかし、沖縄に対する作戦計画を作成していたとき、日本軍の特攻機がこのような大きな脅威になろうとは誰も考えていなかった。」と述べている。
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