レーダーピケットライン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)
「特別攻撃隊」の記事における「レーダーピケットライン」の解説
アメリカ海軍はこれまで特攻に痛撃を浴びせられてきたこともあり、沖縄侵攻に際しては従来から展開してきたピケットライン(前衛哨戒線)をより強化することとし、専門部隊として第51.5任務部隊(司令官フレデリック・ムースブラッガー代将)を編成した。同任務部隊は駆逐艦103隻を主力とする206隻の艦艇と36,422人の水兵で編成されている大規模なものであり、このなかで19隻の駆逐艦がレーダーピケット艦任務のために対空レーダーと通信機器が強化されて、専門の戦闘指揮・管制チームが配置された。各特別艦の戦闘指揮・管制チームは、上陸支援艦隊第51任務部隊司令官リッチモンド・K・ターナー中将が座乗する揚陸指揮艦エルドラドに設けられた戦闘指揮所(CIC)と連携し、第51任務部隊の護衛空母群や第58任務部隊の正規空母・軽空母群の艦載機及び陸軍や海兵隊の地上機による戦闘空中哨戒(CAP)の管制・指揮を行った。 第51.5任務部隊は、沖縄本島の残波岬(米軍呼称BOLO)を中心点とし、沖縄本島を取り囲むように16ブロックの海域に分けて、各ブロックに配置された。さらに各ブロックは、中心点より70 - 100km離れた遠距離ブロックと、15 - 50kmの近距離ブロックに分けられた。そのブロックに、駆逐艦数隻と駆逐艦より多数の補助艦艇で編成されたピケットチームが配置されたが、各艦は警戒網に穴が出来ないように、ブロック海域内に円状に展開していた。 また沖縄本島から離れた海域に展開していた第58任務部隊周囲にも、多数のピケット艦を配置した。ピケット艦が特攻機の接近を探知すると、その情報を旗艦の空母に連絡して艦隊の警戒を強化、やがて空母の充実したレーダーが特攻機を探知すると、設置された戦闘指揮所(CIC)で対空戦闘の指揮をとる戦闘機指揮管制士官(FDO)が、艦隊に所属する迎撃戦闘機を最適位置に迎撃に向かわせた。FDOは太平洋戦争開戦時から各空母に配属されていたが、それまでの戦訓からより権限が強化されて、指揮系統を一元化して効果的な対空戦闘の指揮ができるように、艦隊旗艦のFDOが艦隊全体の迎撃戦闘機の指揮権限を有することとなっている。また同時に、ピケット艦と戦艦・巡洋艦を特攻機進入海域に集中させ、対空砲火を濃密にした。 その為に沖縄戦では、常に多数の敵戦闘機が待ち受け、その追撃は執拗(しつよう)であったと海軍航空隊参謀安延大佐が回想している。 しかし、一部で誤解されているように レーダーピケットラインに対して特攻機が何ら対策を取らず無力化されたわけでなく、以下の対策をこらしてアメリカ軍のピケットラインに対抗している。 ピケットライン分断のためにレーダーピケット艦を攻撃目標とする。 船首・船尾まで超低空飛行で接近し、突入直前に急上昇し目標の艦橋に突入を図る。 陸地を利用しレーダー探知を避けながら目標に接近する。 レーダー探知範囲の死角(海面スレスレなど)から接近する。 識別を困難とする為、アメリカ軍機の近くや後方からアメリカ軍機に紛れて接近する。 雲に隠れて進入するまたは太陽の方面から進入する。 最高速で一気に進入する。 複数機で接近し、囮機が迎撃や対空砲火を引き付けている間に他の機が突入を図る。 菊水2号作戦時の第5航空艦隊の作戦報告書に「艦上電探哨戒艦艇を利用し我が攻撃隊を邀撃する方法を執りつつありて」との記述があり、日本軍がレーダーピケット艦と管制を受けている戦闘空中哨戒(CAP)の戦闘機を、特攻作戦の大きな脅威であると認識していたことがうかがえる。日本軍が明確にレーダーピケット艦を優先目標として攻撃を命じたかは確認できないが、攻撃を受けたレーダーピケット艦は、明らかに自分たちが狙われていたと確信している。九三式中間練習機で編成された神風特別攻撃隊「第3龍虎隊」に撃沈された駆逐艦キャラハンの艦長A・E・ジャレル大佐は「レーダーピケットステーションの位置は煩雑に変えており、夜間と昼間で違う場所にいることが推奨されていたが、日本軍が(キャラハンのいる)レーダーピケットステーションの位置を知っていたことは明らかだ」と報告し、同じく特攻機の突入で大破し戦線離脱を余儀なくされた駆逐艦ダグラスH.フォックス(駆逐艦) (英語版)の艦長R・M・ビッツ中佐も「低空から直接日本軍機が接近していることで、敵がレーダーピケットステーションの正確な位置を把握しており、これを除去する任務を与えられていたことは明らかである」と報告している。 しかし、多くの特攻機が結果的にレーダーピケット艦を攻撃目標として選んだという指摘もある。特攻隊員は最低限の訓練しか受けていなかったので、経験豊富で数も勝るアメリカ軍機を相手をかわして沖縄まで飛行することは困難であると判断し、沖縄より離れた場所で警戒し、真っ先に接触するレーダーピケット艦を目標としたと考えられている。本来であれば目標は空母や戦艦といった大型艦が望ましかったが、駆逐艦や補助艦であれば、特攻機1機の命中でも当たり所がよければ撃沈も十分可能であり、特攻機の理想的な目標となってしまった。 このように様々な要因が重なって、特攻機の目標となってしまったレーダーピケット艦であったが、搭載されていたSkレーダーは、性能的に50マイル以上の遠距離の目標を探知することに優れていたものの、航空機が艦艇に近づいてくると見失ってしまうことがあった。特に低空飛行してくる航空機が25マイルまで接近すると探知が困難になり、戦闘機の管制を事実上不可能にした。また、航空機がさらに接近すると状況はさらに悪化し、Skレーダーと自動追尾の射撃制御レーダーであるSMレーダーが相互干渉してSMレーダーのシステムが遮断されてしまううえ、他の艦艇のレーダー信号も互いに干渉しあったり、またアメリカ軍航空機との敵味方識別が困難になってしまった。特攻機はこれらのアメリカ軍レーダーの弱点を巧みについて、レーダーピケット艦を攻撃した。レーダーピケット艦への激しい攻撃により、第51.5任務部隊の19隻の特別装備の指揮駆逐艦のうち4隻が撃沈、8隻が大破して戦線離脱、3隻が損傷という壊滅的な損害を被った。やむなくアメリカ軍はさらに14隻の特別艦を投入したが、その後も損害は増え続けた。アメリカ海軍は駆逐艦と上陸用舟艇などの小型艦艇に共同行動を取らせ、対空戦闘が開始されると、駆逐艦が沈められた時に生存者の救出を図るため、駆逐艦の周りを小型艇でびっしりと囲ませていた。そのためアメリカ海軍兵士はそのような小型艦艇のことを『棺桶の担い手』と呼んでいたが、実際にレーダーピケット艦の駆逐艦はつぎつぎと特攻で粉砕されていった。 沖縄戦中にアメリカ海軍は駆逐艦16隻を沈められ、18隻が再起不能の損傷を受けて除籍される甚大な損害を被ったが。その中で、第51.5任務部隊の損害が最も大きく、11隻の駆逐艦と付属艦5隻の計16隻が沈没、50隻が損傷し、水兵1,348人が戦死、1,586人が負傷した。これは第51.5任務部隊でピケット任務に就いていた駆逐艦のうち42%が沈没もしくは損傷するといった甚大な損害となった。レーダーピケット艦は文字通り自らを犠牲にして主力艦隊や輸送艦隊を特攻から守り切った。その働きぶりはアメリカ海軍より「光輝ある我が海軍の歴史の中で、これほど微力な部隊が、これほど長い期間、これほど優秀な敵の攻撃を受けながら、これほど大きく全体の為に寄与したことは無い」と賞されている。 日本軍のこれらのレーダーピケット対策に対し、アメリカ軍はピケット艦自身に護衛機を付けたり、更なる早期警戒能力強化のため、沖縄本島の北部と沖縄周辺の小島に、レーダーサイトを多数設置するなどして対抗するなど 日米両軍の間で激しい駆け引きが行われた。特にレーダーサイトについては、これまで特攻で痛撃を被っていた海軍からはアイスバーグ作戦検討時から早急な設置を求めていたが、作戦立案者たちはその重要性を全く認識しておらず、レーダーピケット艦の甚大な損害を見てからようやく本格的な設置が開始されたため、特攻機の猛威を十分に防ぐことはできなかった。いくら、軍上層が後からレーダーピケット艦の敢闘を称賛しても、甚大な損害を被ったことには変わりはなく、そのことに憤りを覚えた第51任務部隊司令官ターナーは「将来の作戦計画作成時には、脆弱な艦艇を攻撃に曝してでも設置するレーダーピケットステーションの数を必要最小限にするため、可能な限り早期に離れた土地または島を確保して、適切な陸上レーダーと戦闘機指揮・管制部隊をそこに設置することに注力することを勧告する」という勧告書を上申している。 陸上レーダーをいくら設置しても、レーダーピケット艦を早期警戒網に組み入れている限りは、レーダーピケット艦の犠牲は避けられず、アメリカ海軍はより有効な特攻対策を迫られることとなった。その対策とは『CADILLAC』と呼ばれた早期警戒機とデータリンクシステムを結合させた新システムであり、これまでレーダーピケット艦が担っていた役割を早期警戒機が担い、機上レーダーで特攻機を探知すると、そのデータをビデオ信号に変えて、旗艦空母のCICの受信機上にリアルタイムで投影するようにした。このデータリンクにより、旗艦空母は自らのレーダーが探知できていない目標に対しても効果的な対策を講じることができた。早期警戒機としてAN/APS-20早期警戒レーダーを搭載したTBM-3Wが開発され、データリンクシステムも1945年5月にはテストを終えて、1945年7月からエセックス級空母各艦に設置されていったが、本格的に運用する前に終戦となった。この必要に迫られて開発された極めて先進的なシステムは、その後もさらに洗練されて現在のアメリカ軍空母部隊にも受け継がれている。
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