陸上基地航空隊の時期
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「第九三一海軍航空隊」の記事における「陸上基地航空隊の時期」の解説
昭和19年10月頃 台湾沖航空戦に備え、沖縄本島小禄飛行場に派遣隊進出。 昭和19年11月19日 小禄派遣隊、済州島飛行場に移転。対馬海峡の対潜哨戒に従事。 昭和19年12月10日 第一護衛艦隊編成、隷下に移る。 昭和20年1月1日 第九〇一海軍航空隊の指揮下で台湾海峡の対潜哨戒を開始。 昭和20年2月22日 華中沿岸の対潜掃討・南号作戦支援を目的に「AS1号作戦」発動、半数参加。 昭和20年3月13日 上海-台湾間航路上の対潜哨戒を目的に「AS2号作戦」発動、継続して参加。 昭和20年3月19日 対馬海峡横断航路上の対潜哨戒を目的に「AS3号作戦」発動。済州島派遣隊参加。 昭和20年4月8日 「菊水作戦」に際し、通常雷撃隊16機(通称「菊水部隊千代田隊」)を串良飛行場に派遣。 昭和20年4月10日 AS3号作戦より撤退。済州島派遣隊は観音寺飛行場にて再編・訓練に着手。 昭和20年4月11日 千代田隊先発隊は喜界島飛行場に進出。直後に敵艦上機群に襲撃され撤退。 昭和20年4月15日 菊水三号作戦発動、千代田隊出撃。以後、6月21日までの菊水作戦に出撃。この間に、雷撃隊の主力機材を、順次、天山に変更。 昭和20年7月18日 沖縄沖の敵船団に月明雷撃を敢行、戦果なし。 昭和20年8月10日 沖縄沖の敵船団に夜間雷撃を敢行、戦果なし。 昭和20年8月12日 沖縄沖の米軍艦隊に4機で夜間雷撃を敢行、中城湾に停泊していた戦艦ペンシルベニアに魚雷1本を命中させ大破させる。これが結果的に串良からの最後の出撃となった。 昭和20年8月14日 観音寺派遣隊が串良に到着。入れ替わりに、千代田隊は、佐伯、ならびに、観音寺に撤退。 戦後解隊。 当初、航続距離が短い九七艦攻を主力機材としていた九三一空は、天山を擁する九〇一空や第五航空艦隊指揮下の七〇一空(攻撃第251飛行隊。のちに九三一空に編入)、第三航空艦隊指揮下の一三一空(攻撃第254、攻撃第256の各飛行隊の串良派遣隊。のちに、串良基地に残留の隊員と機体は、攻撃第251飛行隊に編入)などのように串良基地からの直接攻撃が困難であったため、喜界島飛行場への進出が不可欠であったが、喜界島飛行場も頻繁に敵機の襲撃を受け、同飛行場からの出撃回数は多くはない。その後、菊水作戦の途中からは、雷撃隊の主力機材を天山に変更し、串良基地からの沖縄方面への夜間雷撃に参加していたが、最終的には、本土決戦時のために温存策を取った。3次にわたったAS作戦も功を奏せず、東シナ海シーレーンも潜水艦攻撃の場となっていた。なお、終戦時には、同じ五航艦指揮下の634空(主に水上偵察機「瑞雲」装備の航空隊)、762空(主に陸上爆撃機「銀河」装備の航空隊)とともに、決号作戦時における対機動部隊夜間雷撃専門航空戦隊として編成された第32航空戦隊を構成する航空隊となっていた。
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