陸上基地航空隊の時期とは? わかりやすく解説

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陸上基地航空隊の時期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/27 05:31 UTC 版)

第九三一海軍航空隊」の記事における「陸上基地航空隊の時期」の解説

昭和19年10月台湾沖航空戦備え沖縄本島小禄飛行場派遣隊進出昭和19年11月19日 小禄派遣隊済州島飛行場移転対馬海峡対潜哨戒従事昭和19年12月10日 第一護衛艦隊編成隷下に移る。 昭和20年1月1日 第九〇一海軍航空隊指揮下で台湾海峡対潜哨戒開始昭和20年2月22日 華中沿岸対潜掃討南号作戦支援目的に「AS1号作戦発動半数参加昭和20年3月13日 上海台湾航路上の対潜哨戒目的に「AS2号作戦発動継続して参加昭和20年3月19日 対馬海峡横断航路上の対潜哨戒目的に「AS3号作戦発動済州島派遣隊参加昭和20年4月8日菊水作戦」に際し通常雷撃16機(通称菊水部隊千代田隊」)を串良飛行場派遣昭和20年4月10日 AS3号作戦より撤退済州島派遣隊観音寺飛行場にて再編訓練着手昭和20年4月11日 千代田先発隊は喜界島飛行場進出直後敵艦上機群に襲撃され撤退昭和20年4月15日 菊水三号作戦発動千代田出撃以後6月21日までの菊水作戦出撃この間に、雷撃隊の主力機材を、順次天山変更昭和20年7月18日 沖縄沖の敵船団に月明雷撃敢行戦果なし。 昭和20年8月10日 沖縄沖の敵船団に夜間雷撃敢行戦果なし。 昭和20年8月12日 沖縄沖の米軍艦隊に4機で夜間雷撃敢行中城湾停泊していた戦艦ペンシルベニア魚雷1本を命中させ大破させる。これが結果的に良からの最後の出撃となった昭和20年8月14日 観音寺派遣隊が串良に到着入れ替わりに、千代田隊は、佐伯ならびに観音寺撤退戦後解隊当初航続距離が短い九七艦攻主力機材としていた九三一空は、天山擁する九〇一空や第五航空艦隊指揮下の七〇一空攻撃251飛行隊。のちに九三一空に編入)、第三航空艦隊指揮下の一三一空(攻撃254攻撃256の各飛行隊の串良派遣隊。のちに、串良基地に残留隊員機体は、攻撃251飛行隊編入)などのように良基地からの直接攻撃が困難であったため、喜界島飛行場への進出不可欠であったが、喜界島飛行場頻繁に敵機襲撃を受け、同飛行場からの出撃回数多くはない。その後菊水作戦途中からは、雷撃隊の主力機材天山変更し、串良基地からの沖縄方面への夜間雷撃参加していたが、最終的には、本土決戦時のために温存策を取った3次わたったAS作戦功を奏せず東シナ海シーレーン潜水艦攻撃の場となっていた。なお、終戦時には、同じ五航艦指揮下の634空(主に水上偵察機瑞雲装備航空隊)、762空(主に陸上爆撃機銀河装備航空隊とともに決号作戦時における対機部隊夜間雷撃専門航空戦隊として編成された第32航空戦隊を構成する航空隊となっていた。

※この「陸上基地航空隊の時期」の解説は、「第九三一海軍航空隊」の解説の一部です。
「陸上基地航空隊の時期」を含む「第九三一海軍航空隊」の記事については、「第九三一海軍航空隊」の概要を参照ください。

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