最後の出撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/20 20:22 UTC 版)
9月中旬、修理を完了して呉に戻った伊35は呉を出港し、18日にトラックに到着。10月11日、トラックを出港してウェーク島へ向かった。23日、ハワイ近海に進出。11月13日、エスピリトゥサント島北西沖に進出。19日、米軍のギルバート諸島来襲により、伊19、伊39、伊169、伊175と共に甲潜水部隊を編成し、タラワ近海に進出。20日、タラワ南西70浬地点付近で、米護衛空母サンガモン(USS Sangamon, CVE-26)、スワニー(USS Suwannee, CVE-27)、シェナンゴ(USS Chenango, CVE-28)とその護衛の駆逐艦からなる米第53.6任務部隊を発見と報告。22日夜に以下の通信を打電したのを最後に消息不明。 本艦の被害状況を調査した結果、航行不能帰還できず。本艦明朝を期し、敵艦隊に突入せんとす。各艦の健闘を祈る。イ三五号 潜水艦長 アメリカ側記録によると、23日1400、米戦艦テネシー(USS Tennessee, BB-43)を旗艦とする米第53.4任務部隊を護衛中の米駆逐艦ミード(英語版)(USS Meade, DD-602)が潜水艦の推進器音を聴取。米駆逐艦フレイジャー(英語版)(USS Frazier, DD-607)と共に爆雷攻撃を5回行った。ミードの爆雷攻撃の後、潜水艦が浮上してきた。ミードとフレイジャーは主砲と40mm機銃による射撃を開始。1751、フレイジャーは潜水艦の左舷司令塔後方に体当たりを行い、潜水艦の耐圧隔壁を破壊したが、フレイジャーも艦首が大破した。1754、潜水艦は艦尾から沈没。ミードとフレイジャーは生存者の救助のためボートを降ろし、ミードが3名を救助したが、4人目の生存者は救助しようと近づくボートに向けて拳銃を発砲したためやむなく射殺された。救助した捕虜を尋問したところ、潜水艦は伊35であると話した。艦長の山本秀男少佐以下乗員92名戦死。沈没地点はタラワ環礁のべシオ島西方沖、北緯01度22分 東経172度47分 / 北緯1.367度 東経172.783度 / 1.367; 172.783。 1944年(昭和19年)1月10日、ギルバート諸島方面で亡失と認定され、4月10日に除籍された。
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