大黒繁男とは? わかりやすく解説

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大黒繁男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 01:00 UTC 版)

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大黒繁男(おおぐろ しげお、1925年(大正14年)5月20日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本海軍の戦闘機パイロット。初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」に五番機として参加し、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。このときの敷島隊の攻撃でアメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈した。

特攻機が突入したセント・ロー
1944年10月25日、捷一号作戦(レイテ沖海戦)で護衛空母ホワイト・プレインズに突入する「敷島隊」の零戦

略歴

  • 1925(大正14)年5月20日 愛媛県宇摩郡川滝村出身 
  • 1942(昭和17)年12月 佐世保海兵団入団
  • 1943(昭和18)年3月 第十七期丙種海軍飛行予科練習生(岩国空)
  • 1944(昭和19)年10月25日 神風特別攻撃隊敷島隊の5番機として出撃し戦死。享年19。
  • 最終階級・海軍飛行兵曹長。
  • 功五級金鵄勲章・勲七等青色桐葉章および感状を授かり軍神の称号を贈られた。

生い立ち

小学校の頃は何度も級長を務め、成績は一番であった。だが彼は、学業成績のことを両親には絶対言わず、通信簿も隠していた。貧しくて兄弟姉妹も多い家庭のため、進学は経済的に厳しく、両親を悩ませたくなかったからだという。教師の説得と父親の配慮で1年だけ新居浜工業学校に通い、住友機械工業に就職した。そのうち、周りにつぎつぎと赤紙が来て「それならいっそ」と海兵団を志願した。

最後の出撃前の家族への手紙(抜粋)

この戦は本当に国を挙げての戦争です。今迄(自分の家族に)一人も軍人として国に報ひて来た人の無かった事、私は子供の頃より残念に思っておりました。今では兄弟二人軍人として御報公出来る様になりました。私は家の誇りと思って居り、此の上は他人に負けぬ働を成す事が一番大切です。私も攻撃の時は無念無想、任務完遂に邁進致します。

戦後

愛媛県西条市の楢本神社に慰霊碑が建立され、毎年10月25日には、敷島隊が敵空母に突入した午前10時に海上自衛隊の航空機5機編隊が、慰霊のための編隊飛行を楢本神社上空で行なっている。また靖国神社には大黒の遺影が祀られている。靖国神社にある大黒の遺影には、最後の出撃直前にもかかわらず、ほがらかな笑顔を残している。[1]

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