最後の出港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 16:18 UTC 版)
「ルシタニア (客船)」の記事における「最後の出港」の解説
1915年5月1日、ルシタニアはニューヨーク港54番埠頭から出港した。それ以前の4月22日、ドイツ大使館は、新聞に以下のような警告文を掲載していた。 原文 NOTICE!TRAVELLERS intending to embark on the Atlantic voyage are reminded that a state of war exists between Germany and her allies and Great Britain and her allies; that the zone of war includes the waters adjacent to the British Isles; that, in accordance with formal notice given by the Imperial German Government, vessels flying the flag of Great Britain, or any of her allies, are liable to destruction in those waters and that travellers sailing in the war zone on the ships of Great Britain or her allies do so at their own risk. IMPERIAL GERMAN EMBASSY, Washington, D.C. April 22, 1915 日本語訳 注意!大西洋の航海に乗り出される渡航者の皆様にご注意申し上げます。一、ドイツ帝国とその同盟国、イギリスとその同盟国の間に戦争状態が存在すること。一、戦闘海域にはブリテン島の周辺海域も含むこと。一、ドイツ帝国政府からの公式通達に従い、イギリスとそのあらゆる同盟国の国旗を掲げた大型船はそれらの海域において攻撃対象となること。一、イギリスとその同盟国の船に乗って戦闘海域に向かう渡航者は自らのリスク負担によってこれを行なうこと。 ドイツ帝国大使館, ワシントンD.C. 1915年4月22日 以上の警告文は、被害を抑えるために、ルシタニアの広告と並んで掲載された。 この警告文は、乗客、乗務員に大きな衝撃を与え、58歳の経験豊富な船長ウィリアム”ボーラー・ビル”ターナーは、乗客を落ち着かせるために、ルシタニアがいかに高速であるかを説明し、Uボートに追いつかれて攻撃される心配はないと話した。そして航海初日、ルシタニアは予定より2時間遅れて正午に出港した。出港後、ルシタニアに潜んでいたドイツ人スパイ3名が船内で逮捕され、客室などから離れた部屋に拘留されていた。
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