菊水四号作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:13 UTC 版)
「菊水四号作戦」・「第四次・第五次航空総攻撃」(4月21日 - 29日) 特攻に苦しむスプルーアンスは、「敵軍の自殺航空攻撃の技量と効果および艦艇の損失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20空軍を含む、投入可能な全航空機をもって、九州の飛行場にたいして、実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する」とニミッツに報告した。 ニミッツはこの報告を受け即座に、アメリカ陸軍に戦略爆撃機B-29で特攻機の出撃基地となっている南九州の日本軍飛行場を攻撃するよう要請している。1945年2月~4月初旬まで、3月10日の東京大空襲など、大阪、神戸、名古屋などの大都市圏の戦略爆撃に集中していた第20空軍は、既に菊水一号作戦直後の4月8日から鹿児島県内の飛行場攻撃に一部のB-29を振り向けていたが、海軍の要請を受け入れた第21爆撃集団司令官カーチス・ルメイ少将は、菊水三号作戦直後の4月18日から5月初旬までの1か月弱に渡って、大都市圏の戦略爆撃を一時中止させた。この間、南九州の各飛行場および東京・昭和町(現・昭島市)にあった陸軍航空工廠への爆撃にB-29を集中し、その延べ機数は合計で2,000機にも達した。 「日本本土空襲#1945年5月」および「立川空襲」も参照 B-29と艦載機により激しい爆撃を受けながらも、日本軍は菊水四号作戦を発動、4月20日から22日にかけ、海軍は作戦機258機、うち特攻機26機を投入。特攻機の未帰還は3機であった。陸軍も作戦機11機を投入した。23日から26日の攻撃は低調に終わったが、27日から30日にかけて海軍は再び全力を動員し、陸海軍作戦機587機、うち特攻機100機を投入、特攻機59機が未帰還となった。これらの攻撃で掃海艦スワロー、上陸支援艇LCS-15、7,000トンの弾薬を満載した弾薬輸送艦カナダ・ビクトリーを撃沈し、駆逐艦ヘールズウッド、ハッガード、ベニオンなどに損傷を与えたほか、病院船のコンフォートは夜間照明を行っていたにもかかわらず特攻機の突入を受け、陸軍看護婦6名を含む39名が死亡、52名が負傷した。
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