菊水八号作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:13 UTC 版)
「菊水八号作戦」・「第九次航空総攻撃」(5月28日 - 29日) 28日、「菊水八号作戦」と「第九次航空総攻撃」が発令される。26日から28日にかけて、海軍は作戦機217機、うち特攻機51機を投入した。陸軍は作戦機71機、うち特攻機57機を投入した。 この頃、太平洋艦隊司令 チェスター・ニミッツ元帥は、第5艦隊司令のスプルーアンスとその配下の第58任務部隊のミッチャーが、今までの激戦で非常な緊張状態にあり、疲労による指揮能力低下を懸念してウィリアム・ハルゼー提督とジョン・S・マケイン・シニア中将に作戦途中ながら異例の指揮官交代を命じている。艦隊指揮官交代に伴い、第5艦隊は第3艦隊に、第58任務部隊は第38任務部隊に改称した。交代のために申し継ぎをしていたハルゼーの幕僚らは、スプルーアンスの幕僚がやつれ果てているのを見てショックを受けている。ただスプルーアンス自身は元気で穏やかな顔をしていたが、これは痩せ我慢であり、戦後にスプルーアンスはこの時のことを妻に対して「私の胃がきりきりと痛んでいたことは誰も知らなかった。」と振り返っている。 航空戦力が欠乏していた日本海軍は、海軍記念日の5月27日に2隊合計13機の練習機白菊を鹿屋と串良から夜間出撃させている。夜間に出撃した白菊隊は28日の黎明に、レーダーピケット任務の駆逐艦ドレクスラーに攻撃をかけた。戦闘機の迎撃を掻い潜った1機の白菊はドレクスラーと僚艦の対空砲火で、2隻の間に墜落したように見えたが、巧みな操縦で体勢を立て直すと、狙ったように艦の中央に突入した。これでドレクスラーは大火災を起こし、航行不能となり海上に停止してしまったため、2機目の白菊のよい目標となり、艦橋に突入された。ドレクスラーは2機目の白菊が命中してわずか50秒で転覆したため、乗組員の多くが脱出する暇もなくそのまま艦と運命を共にし、戦死者・行方不明者は168名に達した。 また、翌5月29日の0:13の深夜にシュブリック(駆逐艦) (英語版)に低空飛行で接近してきた特攻機が命中し、シュブリックを大破炎上させた。シュブリックは修理不能と判定され、そのままスクラップ行きとなった。アメリカ軍の公式記録では、双発機による特攻となっているが、この時間に沖縄に出撃していた特攻機は、串良飛行場を5月28日19時13分~19分に出撃した徳島第3白菊隊の5機以外になく、これも白菊の戦果と思われる。敵機の迎撃を受ければひとたまりもないという評価を受けていた白菊は、夜間攻撃という苦肉の策に投入されながらも、第5航空艦隊司令部の低い期待度とは裏腹に戦果を挙げるようになった。 他にも3隻の駆逐艦と1隻の上陸支援艇と4隻の輸送艦を撃破している。この後の5月28日、陸軍の第6航空軍が連合艦隊司令長官の指揮下から外れた。 「決号作戦#特攻部隊の配備」も参照
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