高知海軍航空隊とは? わかりやすく解説

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高知海軍航空隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 06:22 UTC 版)

高知海軍航空隊基地跡(1947年)
現在の高知空港の一部となっている。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
前浜掩体群

高知海軍航空隊(こうちかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。偵察専修搭乗員の教育を推進するため、偵察機に搭乗するまでの初歩練習を推進した。しかし決戦体制に移行した1945年(昭和20年)3月以降は、特攻実施部隊となって沖縄戦に参加した。 

沿革

  • 1944年(昭和19年)
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月1日 - 作戦実施部隊に改編、第五航空艦隊指揮下に入る。飛行教育凍結。
    • 4月1日 - 第三航空艦隊第十二航空戦隊に転籍。
    • 5月5日 - 白菊全機を特攻機に指定、特攻訓練開始。
    • 5月22日 - 特攻隊、鹿屋飛行場に進出。
    • 5月24日 - 「菊水七号作戦」発動。徳島海軍航空隊と共同で白菊20機出撃。揚陸艦・輸送駆逐艦各1撃破、8機未帰還。
    • 5月25日 - 「菊水七号作戦」続行。徳島空と共同で出撃したが、天候不良で断念。1機未帰還。
    • 5月27日 - 「菊水八号作戦」発動。白菊20機出撃。駆逐艦ドレクスラー」撃沈。11機未帰還。
    • 6月21日 - 「菊水十号作戦」発動。白菊8機出撃。揚陸艦1隻撃沈。5機未帰還。
    • 6月25日 - 徳島空の「神風特攻隊徳島第五白菊隊」に2機協力。戦果なし、2機とも未帰還。
    • 6月26日 - 鹿屋飛行場白菊隊、全機出撃。戦果なし。高知空の白菊1機未帰還。
  • 以後、高知空からの特攻隊派遣、出撃はなかった。菊水作戦終了後、高知空では約60機の白菊が残存していて、その半数を新設の窪川飛行場(高知第三基地とも。当時の幡多郡窪川町大字宮内)に派遣して、飛行訓練を行った。なお、飛行練習生たちは陣地構築や陸戦訓練を行った。
  • 8月20日 - 解隊

連合軍の施設接収はサンフランシスコ講和条約まで続く。以後、高知空港として民間に開放されている。「高知龍馬空港」の愛称で親しまれている一方、高知空時代の掩体壕が7基現存していることでも知られている(前浜掩体群)。

主力機種

歴代隊司令

  • 山本栄 大佐:1944年(昭和19年)3月15日 - 1944年7月10日
  • 加藤秀吉 大佐:1944年(昭和19年)7月10日 - 1945年(昭和20年)8月25日[1]、以後9月30日まで新任司令の発令無し
  • 岡村基春 大佐: 1945年(昭和20年)9月30日 - 1945年10月15日

参考文献

  • 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
  • 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
  • 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
  • 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)

脚注

  1. ^ 予備役編入による自動解職。

関連項目




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