官立高知青年師範学校時代
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「高知青年師範学校」の記事における「官立高知青年師範学校時代」の解説
1944年4月1日: 官立移管され、高知青年師範学校となる。本科3年制 (男子: 農科、女子: 家庭科)。 1947年4月: 水産科を増設。校舎狭隘のため浦戸小学校を一部借用。 1947年9月21日: 大久保校長・森本徳右衛門教授ら、高知海軍航空隊跡の払下げを県知事に申請。海軍航空隊跡 (香美郡日章村、現・南国市物部) は占領軍に接収されていたが、返還の噂があったため先手を打ったとされる。 1948年2月: 英連邦軍から日本への航空隊跡地の返還発表。同年5月、高知製紙 (現・河野製紙) も払下げを申請。青年師範学校との争奪戦となる。 同地が正式に返還されたのは1952年。 1948年10月1日: 航空隊跡地問題紛糾で日章村村長・村会議員総辞職。 1948年10月25日: 桃井県知事・高橋県会議員ら、県費による中学校建設を地元に提示して解決。 1949年5月31日: 新制高知大学発足。高知青年師範学校は農学部・教育学部の母体として包括された。 日章村の航空隊跡 (現・物部キャンパス) は農学部の用地となり、青年師範学校は高知市大原町に留まった。 1951年3月31日: 高知大学高知青年師範学校 (旧制)、廃止。
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