英連邦軍
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ビルマ中部に位置する英第14軍はウィリアム・スリム中将のもと「キャピタル計画」に基づき、シュエポにおいて日本軍と決戦せんとした。土地が平坦なため、航空支援と機甲部隊の投入に有利なためである。加えて、これまでの行動からして日本軍が血を流すことなしに土地を放棄するとは考えがたかったからである。しかしながらシュエポにおいて日本軍は遅滞行動をし、鹵獲資料や航空情報から類推してイラワジ前方ではなく後方において決戦するものと思われた。ここにおいてスリム中将は計画を変更し、第33軍団をもってマンダレー北方と西方で渡河して日本軍を牽制し、主攻の第4軍団をもってガンガウを南進してパコックより奇襲的に渡河して一気にメイクテーラを占領するに決した。
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英連邦軍
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対する英第14軍は1942年に惨敗したときとはまったく違う戦力をもつようになっていた。第14軍の5個師団中、イギリス本国兵から成るのは第2師団だけで、あとはインド兵師団である。各師団は一般に2個野砲兵連隊と1個山砲兵連隊を有し、各野砲兵連隊は火砲18門、山砲兵は12門である。ほかに対戦車連隊なども持っていた。コヒマの戦いで日本軍を追い散らした英軍兵は、日本兵がもはや超人でないことを自覚し、自信をもって戦闘を行えるようになっていた。 英第14軍は戦車旅団も有しており、歴戦の第254戦車旅団(リー、グラント戦車装備)は第33軍団、第255戦車旅団(シャーマン戦車装備)は第4軍団に配属された。航空戦力は1200機と圧倒的で、イギリス空軍とアメリカ陸軍航空隊の在ビルマ戦力は日本軍のそれを大きく引き離していた。 第14軍(ウィリアム・スリム中将)第4軍団(フランク・メッサーヴィ中将)第7インド師団(G.C.エヴァンス少将) 第17インド師団(D.T.コーウェン少将) 第255インド戦車旅団(C.E.ペート准将) 第28東アフリカ旅団(W.A.ディモリン准将) ルシャイ旅団(P.C.マリンディン准将) 第33軍団(サー・モンターギュ・ストップフォード中将)第2師団(C.G.C.ニコルソン少将) 第19インド師団(T.W.リース少将) 第20インド師団(D.D.グレーシー少将) 第254インド戦車旅団(R.L.スコーンズ准将) 第268インド歩兵旅団(G.M.デール准将) 第14軍直轄第5インド師団(E.C.R.マンサー少将)
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